太宰治がもし現代に生まれていたら

意味の無い空想だとは思うけれども、『如是我聞』を読んでいるとそんなことを空想してしまった。

 

『如是我聞』(青空文庫

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1084_15078.html

 

これは、太宰の最晩年のエッセイである。

ちなみに私は太宰の作品は、代表作以外も結構読んでいて、特に戦時中に書かれた短編などはすごく好きである。

しかし『如是我聞』はエッセイというか、もうなんというか、鬱憤大爆発な感じである。

そもそも私は志賀直哉全集を読んでいて、志賀の「太宰治の死」という文章にぶつかった。そこにはどうにも、太宰の自殺の遠因を自分が作ったことを悔いるような文章が載っていた。

そして『如是我聞』の中で、志賀は自分が太宰に批判されていることを知ったが、それを志賀は読まなかったそうだ。

となると、「いったい太宰はどんな風に志賀を批判したのだろう?」と読みたくなってしまうのが人情である。で読んでみた。

もし太宰治が現代に生まれていたらネット中毒になって疑心暗鬼に陥っているのではないかと思ってしまう。実に興味深い文章である。太宰治が好きな人は是非一度読んでみて欲しい。

 

 

 私は、或る「老大家」の小説を読んでみた。何のことはない、周囲のごひいきのお好みに応じた表情を、キッとなって構えて見せているだけであった。軽薄も極まっているのであるが、馬鹿者は、それを「立派」と言い、「潔癖」と言い、ひどい者は、「貴族的」なぞと言ってあがめているようである。

最初の文章の途中から引用した。一貫しているテーマは先輩世代に対する批判である。こんなのはまだまだかわいい。

 人生とは、(私は確信を以て、それだけは言えるのであるが、苦しい場所である。生れて来たのが不幸の始まりである。)ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。

 太宰ってこういう文章も同じ作品の中に入れちゃうのがすごいよねぇ。

  今月は、それこそ一般概論の、しかもただぷんぷん怒った八ツ当りみたいな文章になったけれども、これは、まず自分の心意気を示し、この次からの馬鹿学者、馬鹿文豪に、いちいち妙なことを申上げるその前奏曲と思っていただく。

 私の小説の読者に言う、私のこんな軽挙をとがめるな。

 何だか決然と某掲示板に犯行予告するみたいですね・・・。

 

 L君、わるいけれども、今月は、君にむかってものを言うようになりそうだ。君は、いま、学者なんだってね。ずいぶん勉強したんだろう。大学時代は、あまり「でき」なかったようだが、やはり、「努力」が、ものを言ったんだろうね。

 二つ目の文章から。もう皮肉が利きすぎてこのへんから太宰は「痛い人」になりつつある。

 私には、不思議でならぬのだが、所謂「洋行」した学者の所謂「洋行の思い出」とでも言ったような文章を拝見するに、いやに、みな、うれしそうなのである。うれしい筈がないと私には確信せられる。日本という国は、昔から外国の民衆の関心の外にあった。(無謀な戦争を起してからは、少し有名になったようだ。それも悪名高し、の方である)私は、かねがね、あの田舎の中学生女学生の団体で東京見物の旅行の姿などに、悲惨を感じている者であるが、もし自分が外国へ行ったら、あの姿そのままのものになるにきまっていると思っている。

 これも太宰は真実を突いているよなぁ。私も一年留学した経験がある。その前に先輩たちの留学体験記を読んで、随分具体的で、随分充実しているのにやや辟易した記憶がある。だいたい外国に行ってきた人は、自分がいかにその国の文化に適応し、友達をつくり、心身ともに充実していたかを語りたがるものだが、実際そんなことはほとんどないと思う。私なんかも9割がたが悲惨な思いをしたものだ。

 ついでだから言うけれども、君たち「洋行者」は、妙にあっさりお世辞を言うネ。酒の席などで、作家は(どんな馬鹿な作家でも)さすがにそうではないけれども、君たちは、ああ、太宰さんですか、お逢いしたいと思っていました、あなたの、××という作品にはまいりました、握手しましょう、などと言い、こっちはそうかと思っていると、その後、新聞の時評やら、または座談会などで、その同一人が、へえ? と思うくらいにミソクソに私の作品をこきおろしていることがたまたまあるようだ。

 エゴサーチしてやたら絡んでくる有名人いますよね、twitterに。太宰だったら絶対やってるだろうなぁ。

  或る「外国文学者」が、私の「ヴィヨンの妻」という小説の所謂読後感を某文芸雑誌に発表しているのを読んだことがあるけれども、その頭の悪さに、私はあっけにとられ、これは蓄膿症ではなかろうか、と本気に疑ったほどであった。大学教授といっても何もえらいわけではないけれども、こういうのが大学で文学を教えている犯罪の悪質に慄然とした。

 そいつが言うのである。(フランソワ・ヴィヨンとは、こういうお方ではないように聞いていますが)何というひねこびた虚栄であろう。しゃれにも冗談にもなってやしない。嫌味にさえなっていない。かれら大学教授たちは、こういうところで、ひそかに自慰しているのであって、これは、所謂学者連に通有のあわれな自尊心の表情のように思われる。

 このへんから太宰の筆は具体的になり、よりヒートアップしてくる。

 もう一人の外国文学者が、私の「父」という短篇を評して、(まことに面白く読めたが、翌朝になったら何も残らぬ)と言ったという。このひとの求めているものは、宿酔(ふつかよい)である。そのときに面白く読めたという、それが即ち幸福感である。その幸福感を、翌る朝まで持ちこたえなければたまらぬという貪婪(どんらん)、淫乱、剛の者、これもまた大馬鹿先生の一人であった。

 二日酔というところに笑ってしまった。やっぱり太宰はとにかく文章がうまい。

 文学に於て、最も大事なものは、「心づくし」というものである。「心づくし」といっても君たちにはわからないかも知れぬ。しかし、「親切」といってしまえば、身もふたも無い。心趣(こころばえ)。心意気。心遣い。そう言っても、まだぴったりしない。つまり、「心づくし」なのである。作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、文学の永遠性とか、或いは文学のありがたさとか、うれしさとか、そういったようなものが始めて成立するのであると思う。

 料理は、おなかに一杯になればいいというものでは無いということは、先月も言ったように思うけれども、さらに、料理の本当のうれしさは、多量少量にあるのでは勿論なく、また、うまい、まずいにあるものでさえ無いのである。料理人の「心づくし」それが、うれしいのである。心のこもった料理、思い当るだろう。おいしいだろう。それだけでいいのである。宿酔を求める気持は、下等である。やめたほうがよい。時に、君のごひいきの作者らしいモームは、あれは少し宿酔させる作家で、ちょうど君の舌には手頃なのだろう。しかし、君のすぐ隣にいる太宰という作家のほうが、少くとも、あのおじいさんよりは粋なのだということくらいは、知っておいてもいいだろうネ。

 怒ったり、真面目になってみたり、多少ふざけたり・・・だんだん感情のコントロールが利かなくなってきていることがわかる。

分を知ることだよ。繰り返して言うが、君たちは、語学の教師に過ぎないのだ。所謂「思想家」にさえなれないのだ。啓蒙家? プッ! ヴォルテール、ルソオの受難を知るや。せいぜい親孝行するさ。

 2chに書き込まれたとしか思えない。

 (まったくそうだよ。太宰、大いにやれ。あの教授たちは、どだい生意気だよ。まだ手ぬるいくらいだ。おれもかねがね、癪しゃくにさわっていたのだ。)

 背後でそんな声がする。私は、くるりと振向いてその男に答える。

 自作自演の元祖と言ってもいいんではなかろうか。

 

 太宰も、もうこれでおしまいか、忠告せざるべからず、と心配して下さる先輩もあるようであるが、しかも古来、負けるにきまっていると思われている所謂謀叛人が、必ずしも、こんどは、負けないところに民主革命の意義も存するのではあるまいか。

 三つ目の文章から。話が民主主義というかなりスケールの大きいところまで広がってしまっている。

 先輩というものがある。そうして、その先輩というものは、「永遠に」私たちより偉いもののようである。彼らの、その、「先輩」というハンデキャップは、殆ど暴力と同じくらいに荒々しいものである。例えば、私が、いま所謂先輩たちの悪口を書いているこの姿は、ひよどり越えのさか落しではなくて、ひよどり越えのさか上りの態のようである。岩、かつら、土くれにしがみついて、ひとりで、よじ登って行くのだが、しかし、先輩たちは、山の上に勢ぞろいして、煙草をふかしながら、私のそんな浅間しい姿を見おろし、馬鹿だと言い、きたならしいと言い、人気とりだと言い、逆上気味と言い、そうして、私が少し上に登りかけると、極めて無雑作に、彼らの足もとの石ころを一つ蹴落としてよこす。たまったものではない。ぎゃっという醜態の悲鳴とともに、私は落下する。山の上の先輩たちは、どっと笑い、いや、笑うのはまだいいほうで、蹴落して知らぬふりして、マージャンの卓を囲んだりなどしているのである。

もうお家芸のような先輩批判。解るところもあるんだけどね・・・。

 作品の最後の一行に於て読者に背負い投げを食わせるのは、あまりいい味のものでもなかろう。所謂「落ち」を、ひた隠しに隠して、にゅっと出る、それを、並々ならぬ才能と見做みなす先輩はあわれむべき哉、芸術は試合でないのである。奉仕である。読むものをして傷つけまいとする奉仕である。けれども、傷つけられて喜ぶ変態者も多いようだからかなわぬ。あの座談会の速記録が志賀直哉という人の言葉そのままでないにしても、もしそれに似たようなことを言ったとしたなら、それはあの老人の自己破産である。いい気なものだね。うぬぼれ鏡というものが、おまえの家にもあるようだね。

 この第三の文章の末尾から志賀直哉批判がスタートする。

太宰が書いた「犯人」という小説が志賀に批判され、それがずいぶん太宰の気にさわったらしい。いわゆる話の「オチ」の出し方について批判された太宰は、心穏やかではなかったようである。

 

 この作家の「シンガポール陥落」の全文章をここに掲げるにしのびない。阿呆の文章である。東条でさえ、こんな無神経なことは書くまい。甚だ、奇怪なることを書いてある。もうこの辺から、この作家は、駄目になっているらしい。

 いよいよ連載最後の四つ目の文章。志賀直哉批判が最高潮に達する。

ちなみに「シンガポール陥落」とは、シンガポールを日本軍が占領するきっかけになった勝利の戦いのことで、太平洋戦争初期の戦いのひとつであり、それを志賀直哉が賞賛した文章のことだ。太宰はもう批判というか暴言に過ぎないということを既に自覚しているだろう。

 さらにその座談会に於て、貴族の娘が山出しの女中のような言葉を使う、とあったけれども、おまえの「うさぎ」には、「お父さまは、うさぎなどお殺せなさいますの?」とかいう言葉があった筈で、まことに奇異なる思いをしたことがある。「お殺せ」いい言葉だねえ。恥しくないか。

 こんなのも妙に現代風な感じがしなくもない。志賀のことを遂に「おまえ」と呼び始める。

  私はいまもって滑稽でたまらぬのは、あの「シンガポール陥落」の筆者が、(遠慮はよそうね。おまえは一億一心は期せずして実現した。今の日本には親英米などという思想はあり得ない。吾々の気持は明るく、非常に落ちついて来た。などと言っていたね。)戦後には、まことに突如として、内村鑑三先生などという名前が飛び出し、ある雑誌のインターヴューに、自分が今日まで軍国主義にもならず、節操を保ち得たのは、ひとえに、恩師内村鑑三の教訓によるなどと言っているようで、インターヴューは、当てにならないものだけれど、話半分としても、そのおっちょこちょいは笑うに堪える。

 しつこい・子供を諭すようなしゃべり方をする、というのは「荒らし」の典型例ではあるまいか。

 ただ、大きい活字の本をこさえているようにだけしか思われない。「万暦赤絵」とかいうものも読んだけれど、阿呆らしいものであった。いい気なものだと思った。自分がおならひとつしたことを書いても、それが大きい活字で組まれて、読者はそれを読み、襟を正すというナンセンスと少しも違わない。作家もどうかしているけれども、読者もどうかしている。

 下品なたとえを使い始めている。読者もいいとばっちりではないか。

 彼は所謂よい家庭人であり、程よい財産もあるようだし、傍に良妻あり、子供は丈夫で父を尊敬しているにちがいないし、自身は風景よろしきところに住み、戦災に遭ったという話も聞かぬから、手織りのいい紬(つむぎ)なども着ているだろう、おまけに自身が肺病とか何とか不吉な病気も持っていないだろうし、訪問客はみな上品、先生、先生と言って、彼の一言隻句にも感服し、なごやかな空気が一杯で、近頃、太宰という思い上ったやつが、何やら先生に向って言っているようですが、あれはきたならしいやつですから、相手になさらぬように、(笑声)それなのに、その嫌らしい、(直哉の曰く、僕にはどうもいい点が見つからないね)その四十歳の作家が、誇張でなしに、血を吐きながらでも、本流の小説を書こうと努め、その努力が却かえってみなに嫌われ、三人の虚弱の幼児をかかえ、夫婦は心から笑い合ったことがなく、障子の骨も、襖のシンも、破れ果てている五十円の貸家に住み、戦災を二度も受けたおかげで、もともといい着物も着たい男が、短か過ぎるズボンに下駄ばきの姿で、子供の世話で一杯の女房の代りに、おかずの買物に出るのである。そうして、この志賀直哉などに抗議したおかげで、自分のこれまで附き合っていた先輩友人たちと、全部気まずくなっているのである。それでも、私は言わなければならない。狸か狐のにせものが、私の労作に対して「閉口」したなどと言っていい気持になっておさまっているからだ。

このへんでもう気づくと思うが、ほとんど「嫉妬」に近い感情を太宰が志賀に抱いていたようにも思える。太宰は「弱さ」こそが芸術であると言うが、そこにたどり着いたのはたぶん、「強さ」への憧れ、コンプレックスがあったからではないのか。「弱さ」の肯定というよりかは、「強さ」の否定、そしてその象徴が志賀であったはずである。

 君について、うんざりしていることは、もう一つある。それは芥川の苦悩がまるで解っていないことである。

 しかしこう書いているところを読むと、やはり単純なコンプレックスから「弱さ」に芸術を見出したのではないようにも思える。芥川も苦悩の人だ。太宰はそこにシンパシーを覚えていたようだ。

 本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。

 これも刺さる一文ですね。

 或る新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴の知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。太宰などお殺せなさいますの? 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり。

 この皮肉の詰まった文を最後に、いくらでも書くと言った太宰は、『如是我聞』連載途中で自殺してしまった。

 

志賀は志賀で読まなくて正解だったのかもしれない。

太宰が現代でも読まれる理由がよく解る。

どちらが偉大かとか、どちらの作品が面白いかは別にして、太宰は志賀よりも現代において、確実に多く読まれているはずである。

それは多分、彼の抱えていたこういう苦悩とか、嫉妬とか、コンプレックスとか何とか、色々ないまぜになった感情のほうが、強さとか正しさとか肯定とか、そういうものよりも時代を超えて普遍的なのだろう。

 

どちらの人生が幸せだったのか、と言われれば、幾分皮肉も織り込み済みで志賀だろうねと答えたくなる。それもきっと太宰のせい。