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レター教室 三島由紀夫著

 

 

手紙を書く人が減れば減るほど、その行為はとくべつなものになっていくだろう。

三島がこの作品を書いた時代に比べて、今は手紙を書く人は少なくなってしまったに違いない。

私くらいの世代では、もはやメールさえ廃れている。仕事で電子メールを使うことはあるが、もっと同期的なコミュニケーションツールがあるのだ。LINEとか、各種のメッセンジャーアプリがそれにあたる。おまけに、無料で電話もできるし、ビデオ通話もできるというのだからすごい。

私は同世代の中では、相当に手紙好きなほうに入ると自負している。

これは一年間留学したことが効いているだろう。その時にしたってメールやスカイプがあったわけだが、私はなぜか手紙にこだわり、手紙が好きになった。

どうして手紙が好きになったかということは置いておいて、最近読んだ三島由紀夫の「レター教室」という作品について何か書いてみたいと思う。

 

三島由紀夫、と聞いて燃える金閣寺を想像したり、割腹自殺を思い出したり、ホモセクシュアルの作家、と思う人は多いと思う。そういえば最近もニュースになっていましたね。

三島由紀夫、63年にノーベル賞初候補 最終選考の一歩手前:朝日新聞デジタル

 

まあ、何となく切ないニュースである。

 

私は三島といえば何を置いてもまず「豊饒の海」で、コレは今まで読んできた小説の中で一番好きな小説と言ってもいいかもしれない。

日本語ってこんなに色んな表現があるんだなあと気付かせてくれるし、複雑なストーリーなのに実に美しく、それでいてシンプルに編み上げてゆく。およそ脱線というものが無い。単に「頭の良さ」みたいなもので測ったら三島ほどの作家はいないんじゃないか。それに加えて天才的な日本語の表現の才能がある。

 

その点この「レター教室」は大きな脱線である。でも、ちゃんと三島なのだ。

仮面の告白」とか「春の雪」みたいな深刻さはまったくない。執筆当時の現代的な男女が主人公で、個性的だが手の届くところにいるような五人の人物の、手紙の交換だけで成り立っている小説だ。誰も自殺しないし、何も焼け落ちたりしない。実に平和な物語だ。

それなのに、三島の人間観察の鋭さみたいなものが要所要所で表れる。そしてそれが、うまくポップな物語の中に溶け込んでいる。はっきり言って、読んでいて楽しい。どうしてだろうと思う。40年前くらいの本なのに、今でも面白い。笑っちゃう。痛快だが、はっとさせられるような文章に出会う。そうして自分の中で何かが思い出されるのが分かる。「そういえば自分は…」と、気付けば登場人物の誰かになってしまう。そういうのって、まず間違いなくいい小説の条件だと思うのだ。

よく読んでいると、三島の他の小説に通じるいくつかのモチーフが姿を現す。それはたとえば「老いと若さ」の対立であるとか、「死への憧れ」とか、そういったものだ。それらを全部放り込んで「これでもか!」というくらい煮詰て出てきたのが「豊饒の海」だったわけだが、「レター教室」ではまた違った形で料理されている。ほとんど対照的な方法で料理されたと言ってもいいかもしれない。

 

これを読むと、「ろまん燈籠」みたいな、太宰が戦時中に書いた小説のような印象を受ける。どちらも力の抜けた美しい文章で人間が描かれていく。しかし平和さという点では、「レター教室」のほうが幾分強いだろう。

この小説の結びは、三島から読者への手紙という体裁を取っている。この文章もまた古びない価値を持った文章だと思う。たぶん、手紙を書きたくなると思いますよ。