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人生のごった煮 サイダーハウス・ルール ジョン・アーヴィング

 

さて、ジョン・アーヴィングサイダーハウス・ルールをご紹介しましょう。

アーヴィングというのは現代アメリカの小説家の中で最も重要な一人と言っても良いでしょう。彼自身はディケンズを尊敬すると言っていることからも分かるように、いわゆる現代的な小説、様々な種類の物語の記述や、実験的な方法、革新的な方法ではなく、昔からよくあるやり方、つまり登場人物の人生を描くということにのみ集中している作家です。

 

「私は現代の小説の流れから外れていますが、私に言わせれば、現代の小説が本来の小説の流れから外れているのです」

と彼自身言っているように、確かに目新しい方法は彼の小説の中にはまったく存在しません。

言ってみれば御伽噺や伝説を読んでいるように、登場人物たちの人生がおもしろおかしく描かれてゆきます。とてもシンプルな作家です。

 

この小説は二十世紀初頭から中盤にかけてのアメリカが舞台です。主人公は孤児のホーマー。彼が育ったセント・クラウズ孤児院はただの孤児院ではありませんでした。

その孤児院を管理しているラーチ医師は、産婦人科医でもありますが、裏の家業として堕胎もやっています。家業と言っても、お金は取りません。全てボランティアでやっています。当時のアメリカでは堕胎は違法でした。しかし、堕胎が違法であるが故に、きちんとした処置を受けられず、望まれない子供を産んだり、あるいは間違った方法で闇の治療を受け、命を落とす女性が多かった時代です。医学の知識のあるラーチは、堕胎という選択があるということが女性の幸福にとって重要であるという信念から、違法であるにも関わらず堕胎手術を続けます。

主人公のホーマーは、そのように望まれない子供としてこの世に生まれ、セント・クラウズで育ちました。孤児はある程度の年齢になれば養子としてどこかの家に貰われていくのですが、彼はもらわれていった先でうまく受け入れられなかったり、いくつかの不幸があったりして、どこにも養子としては適応できませんでした。

それを見たラーチ医師はホーマーをセント・クラウズにずっといさせて、自分の手伝いをさせるようになります。そうしてホーマーは産婦人科のほとんど完璧な技術を手に入れ、当然堕胎手術もできるようになります。しかし、ホーマーは堕胎に関しては抵抗があります。それが違法であるということはもちろん、受精した時点で生命であるという考えが彼の頭の中にあります。

そうして10代の後半まで孤児院で育ったホーマーの元に、ある日、あるカップルが訪れます。そのカップルはセント・クラウズで堕胎ができるということを聞いてやってきたのです。ホーマーと同じような年恰好の、リンゴ農場からやってきた若い男女です。ここからホーマーの人生はサイダーハウス(=リンゴ農場の労働者用宿舎)へと向かって、少しずつ傾いていきます・・・。

 

と、ここまでが簡単なあらすじで、ここから先に様々な運命の試練がホーマーに訪れます。もちろん第二次世界大戦があったりして、歴史の波に呑み込まれてゆく人々の姿が丹念に描かれています。

 

アーヴィングの小説が優れている点は、何と言っても、人生の全てが詰っているのではないかと思えるくらい、あらゆる出来事が起きる点です。

それは彼をスターダムに押し上げた「ガープの世界」もそうですし、本人が「御伽噺」と言い切った「ホテル・ニューハンプシャー」でもそうです。

とにかく人生のごった煮なのです。怒り、悲しみ、喜びという感情が底に流れていて、恋愛や受胎、あるいは堕胎、親子の絆、友情、戦争と死、レイプとセックス、旅、などなど。そういったものを全部鍋に放り込んで、ひとつの味付け、つまりテーマで持って料理して、読者の前に差し出すのです。

今回のサイダーハウス・ルールの場合はテーマは明確で、「堕胎」です。これはアメリカでは現代でも結構意見の分かれる問題だそうです。

そういったテーマを、師匠のヴォネガット譲りのコミカルな文体で料理していきます。複雑なプロットを、ゆっくりじっくり丁寧に解いてゆき、登場人物たちの細かい描写はないのに、何故か感情移入してしまう、とても魅力的な時間の流れを感じさせてくれます。

要するに彼の文章は「読んでいて面白く」て、ドキドキしたり哀しんだり笑ったりしながら1000ページ近いのにどんどん読んでしまい、読んだあとに「あーおもしろかった」だけではなくて、物語を現実の中に落としこんでしまう、つまり今回の場合ですと堕胎について、あるいは孤児について、あるいは運命というものについて考えさせられている自分に気が付くという小説なのです。

 

小説らしい小説と誰かがアーヴィングを評して言っていたと思いますが、おそらくそれは正しいのだと思います。新しい方法などなくても小説は十分面白いということをアーヴィングは言いたいのではないでしょうか。