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アラン幸福論 4.神経衰弱


Tetsugakudou Park_14 / ajari

さて、アラン幸福論の訳も第四回まで進みました。

今回のテーマは「神経衰弱」です。前回の「哀しいマリー」とも通じる話です。

少し寒い天気が続きますが、もしかすると春にぴったりなテーマかもしれませんね。

過去のエントリはこちら。

1.ブケファロス ~アラン「幸福論」より~ - BANANA BOOK

2.いらだち アラン「幸福論」より - BANANA BOOK

アラン幸福論 3.悲しいマリー (Marie triste.) - BANANA BOOK

それでは以下、訳文を載せます。

 

4.神経衰弱

 

 春先のにわか雨は人の気分を変えてしまう。男でも女でも、春の太陽のように気分を変える。

 昨日、教養があって道理をわきまえたある男の友人が私にこう言った。

「僕は僕に満足してないんだよ。仕事や遊びで忙しい時は、いいんだけど、そうじゃない時、頭の中に色んな思いがぐるぐると回るんだ。哀しんだり喜んだり、とにかく様々なニュアンスのある思いなんだ。それがめまぐるしく変わる。どういう思いかというと、書かないといけない手紙があるな、とか、電車に乗り遅れるな、とか、やけにコートが重いなあとか、そういう小さなことなんだ。でもそういうことが重大な意味を持ってきてさ、本当の不幸みたいな気がするんだ。どうでもいいってことは分かるんだ。でもね、それが分かったところで、それは濡れた太鼓みたいに役立たずなんだよ。そんな時僕は神経衰弱ぎみなのかなあと思うんだ」

 私は以下のように彼に言った。

 まず、大層な言葉は置いておいて、物事を理解しようとしなさいと。あなたの状態は他のみんなとそう変わらない。自分だけが考えすぎで、悲しみや喜びを理解しようとする知性の病気にかかっていると思っている。でも、あなたの頭の中に浮かんでくる思いは、そういった喜びや悲しみを説明してくれるものではないのだよと。

 実際、幸福にしても不幸にしても、そういう思いはたいして重みのあるものではない。それは体の具合とか、食事や、散歩したかどうか、その日の天気、何を読んだか、そういったものに左右されているものなのだ。気分が浮かんだり沈んだり、それは波の上の船のようなものなのだ。それらの気分は、普段、白とも黒ともつかない微妙なものだ。忙しい時には全く考えない。でも考えてしまうような時間がある時には、それに没頭してしまって、小さな思いがたちまち熱気を帯びてくる。そして、結果でしかないものを原因であるかのように思ってしまう。鋭い精神の持ち主は、悲しみや喜びの原因を見つけ出すものだ。

 パスカルという人は病気のせいで肉体の苦しみを味わっていた。夜空の星にさえ怯えていた。星を見上げた時に重々しく身震いをしたせいだ。でもそれは、窓際の寒さのせいにちがいない。また別の詩人などは、女友達に話しかけるみたいにして星との会話を楽しんだそうだ。この二人は、星空についてそれぞれ力強く、美しい言葉を述べるだろう。しかしそれは、本質とは全く関係がないことだ。

 スピノザはこう言った。「人が情熱を持たないことはありえない」と。しかし賢人は、情熱というものを脇によけて、とても広い幸せの領域を魂の中に持っているものだ。何も難しい筋道を辿らなくても、人は望んでいる幸福を作り上げることが出来る。小さな思いに比べて、音楽や、絵画や、会話によって作られる幸せはとても大きい。趣味が多い人は、やるべきことを作ることで苛立ちを忘れることができる。私たちは、本とか友人とか、そういった有益なものを利用しないことをもっと恥じるべきだろう。

 しかし、私たちの犯している間違いとは、そういった価値のあるものに対して関心を示さないことなのだろう。私たちはそれらのものを当てにして生きているのだ。何かを欲しいと願うとき、これらのことはその欲しいという思いを助けてくれるものなのだ。