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血液型について

 AB型である。私がである。大変なことである。オチがないと死んでしまう病に取り憑かれた大阪人に囲まれて育った私は、幼少の時からAB型というだけでオチに使われてきた。彼らはサッカー日本代表みたいにパス回しだけで90分を終えるということがない。絶対にオチが要る。そのような環境にあって、「A型はきちょうめん、B型はマイペース、O型は大雑把、AB型は変」などという謂れのない迫害を受けてきた。稀に「AB型は天才」という落とし方や、まあ、フォローを受けることもあったのだが、ぜんぜんフォローになっていないのである。なぜなら私は天才ではなかったし、今のところジーニアスと言えるような才能は何ひとつ開花していない。墓場まで天才的な才能を胸のうちにひそめておかねばならぬのだろうか。要するに何の根拠もなく天才と言われるのは、変と言われるのと同等の惨めさがあるのだ。

 と、真剣に憤っているわけではない。ただのマクラである。あと、大阪人の中には私のように、オチを求められてもシュートを打てない人がいるということも強調しておきたい(実は大阪の人ほどこのことを良く分かっている)。
 それはともかく、血液型で性格を判断するというのは中々面白い考え方ではないだろうか。どうも日本人特有の考え方らしいと聞いたこともある。しかし誰もが一度は考えることがある。血液型性格判断とは、果たして正しいのだろうか?

 今回はアメリカ式でまず結論から書こう。私は、ある程度正しい可能性があると思っている。その根拠を以下に示していこうと思うが、科学的なものではないので論文等に引用するのは控えていただきたい。

 私は「血液型」が「性格」に関係するとは全く思っていない。おっと、これは決して先ほどの結論とは矛盾しないのでどうかスクロールする手を止めないでほしい。私が言いたいのは、血球だか何だかの違いが人間の性格に影響するわけがないということである。これは私なりの常識の範疇で考えていることだ。

 だが、「血液型性格判断」が「性格」に影響することは十分ありえると思っている。ご存知のように、血液型性格判断は比較的ポピュラーな話のマクラである。世代間にどのくらいの差があるか分からないが、私なんかは子供の時から血液型の話をしてきた。小学校の女子がやたら集めていた謎のプロフィール帳みたいなやつにもきちんと血液型を書く欄があった。「いや、あれはメーカーが輸血のことを考えて設けている欄なのだ」というのならサンリオだか何だかに詫びたいが、あれも要するに血液型がプロフィールを構成する要素であるという、ある種のコンセンサスから生まれたものだろう。

 大人になっても「あいつはA型だから」みたいな話は結構ある。女の子に「あたしって何型だと思う?」という爆弾を投げつけられて肝を冷やした男性もおられるだろう。レディーの皆様は男にその質問をするのは控えていただきたいと切に願う。アレは結構センシブルな質問なのだ。

 と、こんな風に語ってきたことからもわかるように、その根拠がどうか、正しいかどうかというソリッドな疑問符はとりあえず置いておいたとしても、結構血液型性格判断は広く受容されているのである。子供から大人まで、ほとんどすべての人が、「この血液型の人はこういう性格」ということを知っているはずだ。たとえそれを頑なに拒否し、疑っているとしても、その事実は情報として社会のすみずみにまで行き渡っている、と私は仮定する。

 すると、それはある種の「環境」と言うこともできる。たとえ自分がそれを信じていなくても、あるいは決して当てはまらないとしても、ただ何となく、「おれ、変とか言われるのやっぱAB型なのかな……」みたいな原因と結果の逆転現象が起こることがある。あるいは「ホラ、ぼくA型だから、許せないんだ、遅刻とか」みたいに、自分の性格を強化する材料に使うこともある。

 人間の性格というのはセメントのようなものだと私は思っている。もちろん、ある程度はどこかの時点で固まってしまうのだろうが、些細なことであっても性格に影響することはある。まして、子供のころは(たぶん)まだ柔らかい。いや、五歳児で既に完成した性格を持っている人もいるかもしれないから、確かなことは言えない。しかし、子供の頃からそのように、性格を四つにカテゴライズされ、何となくその枠を意識していると、だんだんそのような性格になっていくとは考えられないだろうか?

 それはある種の「志向性」のようなものと言えるかもしれない。必ずしもネガティブな話ではない。「わたし、A型だし、きちんとしたいな」というのは素敵な話である。「おれO型だし、アイツの遅刻も許してやろう」みたいなのもいいね。もしかしたらAB型=天才であるということを頑なに信じて医学に打ち込み、ノーベル賞ものの難病を治す薬を開発しちゃったとかいう人が出てきたら、これはもう血液型さまさまである。

 あるいはその逆で、「ふん、おれは血液型性格判断なんか信じねえんだ」と言うO型の人がものすごくキッチリしたりすることもあるかもしれない。平凡を突き詰めていくAB型もいるかもしれない。それはそれで影響を受けていることになる。要するに、血液型性格判断眉唾だが、血液型性格判断そのものが、人間の性格形成に影響を与えている可能性は否定出来ないのである。

 という発見を私は大学の喫煙所で思いついて、隣に居た友人に興奮気味に語って聞かせたのである。「おいおい、コレ、すごくね? 斬新な発想じゃね? ちょっと俺って天才じゃないの?」みたいな感じで。すると彼は「それ、こないだ心理学の教授がおんなじこと言ってたで」とバッサリ斬ったのである。「ってか、人間の性格ってそんな単純なモンちゃうやろ」という追撃まで食らった。
 
 むかしの話である。まあ、そういうわけで、私はやはりジーニアスと呼ばれるには程遠いのであった。血液型性格判断はまったくアテにならない。まったく。