ポーランド脱出

 

 台風11号のせいで陰惨な気分で盆休みを迎える方も多いのではないだろうか。私も明日の予定が中止になってしまった。特に西日本に住んでおられる方は、今週末の予定を変えざるを得ない状況に追い込まれているものと想像する。
 NHKJALやJRのキャンセルについて報じられているのを見た。

「ホームページなどで随時確認を」

 というテロップが出ていた。
 ふむ。ホームページである。ホームページというだけで少々懐かしくさえある。HTMLを打ち込んで作られた個人商店的なホームページは今や主流ではなく、ブログが取って代わる形になっている。テキストサイトを含めたインターネットの歴史についての小説をいつか書いてみたいと思うが、まだその目処は立っていない。


 しかし、ホームページ? である。


 運行情報等を知るためにいま一番有力なメディアは、何の疑問もなくTwitterであると断言できる。航空会社や鉄道会社の公式Twitterアカウントは遅延等の情報をリアルタイムで知らせてくれる。Twitterライフラインとして認知されるに至ったのは、我が国では、言うまでもなく3.11の出来事の影響が大きい。
 しかし、今日これから書く、Twitterにまつわる出来事は、私の間一髪の経験を根拠としている。

 

 すこし前にヨーロッパへ行った。その時、関空からルフトハンザドイツ航空でフランクフルトへ行き、そこからチェコへ行くという旅程を取った。しかしながら、そのルフトハンザの便はなんと八時間も遅れて出発した。理由は降雪で、私たちが乗る便がドイツを発つのが遅くなったのである。たいへんな寒波がヨーロッパを襲っていたのだ。
 その時、私は買ったばかりのタブレット端末を持っていて、すぐにTwitterでルフトハンザのアカウントをフォローした。英語のアカウントだったが、そこには降雪の遅延状況についての情報があった。そう、何も旅行会社の人間や空港の人間から話を聞くまでもなく、ルフトハンザの広報から直接情報を手に入れることができるのである。関空で時間を潰している間、「便利な時代になったものだ」としみじみ感じ入った。

 という最初のつまずきはあったものの、旅行は順調に進み、チェコオーストリアと回ったあと、私は友人を含む旅行のグループから離れてポーランドへ向かった。のちにフランクフルトで合流して帰国するという手はずだった。


 ポーランドを訪れた理由はひとつだけで、アウシュビッツに行くことだった。アウシュビッツについてはここでは触れないが、非常に貴重な経験をしたということだけ書いておこう。

 

 アウシュビッツを訪れた次の日、クラクフで一日を過ごした。それがポーランドで過ごす最後の日だった。天気は良く、私は朝からその美しい古都を歩いて回った。
 しかし昼過ぎに段々気分が悪くなってきた。前日のアウシュビッツのせいだったと思っている。精神的にも疲労したが、どちらかといえばアウシュビッツを襲った吹雪が私の体力を随分削っていたのだろう。そういうわけで夕方くらいに観光を切り上げて、ホテルの部屋へ戻って休憩を取った。

 

 ベッドの上でごろごろしながらタブレット端末をぼんやり眺めていると、出国前にフォローしたルフトハンザのアカウントが何やら呟いているのを目の端で捉えた。
 そこにあったのは「strike」の文字である。
 ストライキ
 へえ、ルフトハンザがストライキねえ……などと思っていると、「明日ストライキをするのでフランクフルト空港を利用する国内便は全部キャンセルになります」と書いてあった。
 国内便ねえ……。
 ちょっと待てよ、と思った。
 私は翌日の朝イチ、クラクフからフランクフルトに飛ぶ。そしてそのあと、空港でグループと合流し、関空へと帰還する手はずだった。
 それは厳密に言えば「国内便」ではない。クラクフからフランクフルトだって「国際線」だからキャンセルにはなっていないはずだ。しかし怖くなった私はルフトハンザのホームページで念のため明日乗る便をチェックした。
 フランクフルト―関空、これは問題なし。しかし、クラクフ―フランクフルトは赤文字で「canceled」と書かれている。
 つまり、ルフトハンザの言う「国内線=domestic」とは、ユーロ圏内を指すのだ。

 

 私は飛び起きた。このままではまずい。このままでは合流できぬまま残されてしまう。帰国できないということにはならないだろうが、色々厄介になるのは目に見えている。
 急いで荷物をまとめ、スーツケースを引きずってホテルのフロントに向かった。
 それを見て女性のレセプショニストが不審げな目を私に向ける。
「あれ、チェックアウトは明日じゃなかったっけ?」と彼女は言う。
「そう、そうなんですけど、あの、ルフトハンザがストライキをするって知ってますか?」
「ああ、聞いたわ」彼女は笑顔で言う。「珍しいわね、ルフトハンザがストなんて」
 私は回らない舌で状況を説明した。明日の朝イチの便でフランクフルトに行く予定だったのだが、その便がキャンセルになってしまったこと。そしてそれに間に合わなければグループから取り残されてしまうということ。なので今日中に何とかフランクフルトに飛びたいのだということ。
「そりゃ大変だわ。今から行けばまだフランクフルト行の便はあるはずよ」と彼女は言い、電話を取った。「ちょっと待ってて。タクシーを呼ぶわ」
 そう言って彼女はポーランド語で電話をし始めた。かなり強い口調でタクシーを呼んでいるようだった。私はこのあたりからいよいよ危機感を覚え始めた。
「オーケイ。すぐタクシーは来るわ」と彼女は言った。
「もしうまく行けば、もうチェックアウト。もし帰ってきたら、予定通りもう一泊するよ」そう言って私は彼女に部屋の鍵を渡した。

 

 タクシーは白のプリウスだった。そして運転手は「急げ!」と言った。「フランクフルト行きの便はあと一時間で最終だ!」私はスーツケースをトランクに放り込んだ。
 クラクフの中心街から空港までの運転は今思い出しても恐ろしいスピードだった。車に乗っていて「あ、死ぬかも」と何度も思ったのは初めてだった。路面電車を容赦なく追い越すタクシーというのに初めて乗ったし、高速道路では170キロくらい出していた。とにかくいい運転手だったのは確かだ。私は余っていたポーランドの紙幣を全部彼にあげた。

 

 空港に着き、まずルフトハンザのカウンターへ向かった。何と最終便の搭乗手続きが始まっているではないか。何を一体どこから説明すればいいのか分からないが、私はとにかく列に並び、説明する機会を待った。
 やがて私の順番が来た。係員は身長180センチくらいの若い女性だった。
「あの、あなたがた、明日ストライキしますよね?」私は控えめに聞いた。
「ああ、そうらしいわね」他人事である。やる気というものをどこかに置いてきた顔つきだった。
「らしい、じゃなくてやるんでしょう? 僕は明日の昼にフランクフルトに着いてないとまずいんだけど」
 そう言って私は明日の朝乗るはずの便のチケットを見せた。
「ああ、これなら、そこのポーランド航空の事務所に行ってちょうだい」と彼女は言い、その正面にあったガラス張りのオフィスを指差した。

 

 私は従っておそるおそるそのオフィスのドアを開けた。
 狭いオフィスで、部屋の中にいるのは一人の老婦人だけだった。彼女がそこの係員で、時代遅れの大きなコンピューターが置いてあるデスクに座っている。
 私は彼女に話しかけ、状況を説明した。脱色しつつある金髪に、皺だらけの日焼けした肌をしていて、縁のない眼鏡をかけた神経質そうな老婦人だった。
「それだったら、ルフトハンザのコールセンターに電話しなさい」と彼女は言い、電話番号の書かれたメモを寄越した。
 
 私はオフィスを出て、携帯電話からその番号に掛けた。しかし繋がらない。
 これがたらい回しというやつか……。
 やばい……。
 ここで私は色々と想像を巡らせてみた。恐らくこのままではフランクフルトへ行くことがかなわず、私は予定通りクラクフでもう一泊。そして翌朝空港に来てみたところで、ドイツへ戻ることは出来ないだろう。どうやって日本に帰るか……予定だってあるのに……。
 
 もう一度ルフトハンザのカウンターへ行った。搭乗手続きはひと通り終わっていたようで、背の高い女は暇そうだった。
「コールセンターに掛けてみたけど繋がらないんだ」と私は言った。「最終便に乗せてくれないの? あなたたちのストライキのせいなんだよ?」
 女はあからさまに溜息をついた。
「最終便は満員なのよ」
「キャンセル待ちは?」
「え、キャンセル待ち? するの?」
 するに決まってるやろが! そう言うと女は手元の端末で何かを調べ始めた。
「とりあえず、もうここは閉めるの。だから、キャンセルが出るかどうか分かる六時半まで待って」と彼女は言った。
「六時半?」
 腕時計を見ると、五時半くらいだった。そして振り向いて、先ほどの老婆がいたポーランド航空のオフィスをちらりと見た。ガラスに「POL」と書かれていて、その下に営業時間が書いてある。「18:00 CLOSE」とある。
六時に閉まるやんけ!
 私は絶叫した。非常に危ない。この女は私のことなどどうでもいいのではないか。
「あ、ホントね」と背の高い女はまるで今その事実を知ったかのように吐き捨て、手元の電話を取った。そしてガラス張りのオフィスの中にいる老婦人にアイコンタクトを送り、ポーランド語で何やら鬱陶しそうに会話をし始めた。


 ヨーロッパのアドミニストレーションというのはなかなか厄介である。よく「海外では自分で主張しなければダメだ」みたいなことを聞くが、昔フランスで一年生活していた時にはあまりそれを感じたことがなかった。しかし一介の旅行者になってみるとその言葉が強く実感されるのである。


 女は電話を置くと、困ったような表情で言った。
「オーケイ、あなたのために六時半までオフィスは開けてもらえるそうよ。でも、キャンセルが出るかどうかは分からないからね」
 そう言って彼女はカウンターを閉じどこかへ去っていった。

 

 私は悲惨な気分で老婦人のオフィスに戻ってきた。
「災難ね」と彼女は言った。「まあ座りなさいな」
 老婦人は先ほどに比べれば親身に私の話を聞いてくれた。私は状況を細かく説明した。「明日フランクフルトの便に乗れないと姉の結婚式に間に合わないんだ」という嘘を思いつき、それを言うかどうか真剣に迷った。心が痛むのでそれは言わなかった。
「分かったわ。ちょっと調べてみるわ」
 老婦人はキーボードをカタカタと叩き、キャンセルが出なかった場合に、なるべく早く帰れる方法を探してくれた。
「あ、いいのがあった」と彼女は言った。
 老婦人が薦めてくれたのは、明日の朝クラクフからワルシャワへ行き、ワルシャワからポーランド航空で北京へ行くという便だった。ストライキをしているのはルフトハンザのハンドリングスタッフだから、フランクフルトを経由しなければ問題はないと彼女は言った。そして北京から中国の何とか航空で関空に帰れという。
「これなら、ルフトハンザの便と同じくらいの時間に日本に着くわよ」と彼女は言う。
 ぺ、北京……。
 しかし……。
 いやもうそれしかないか、と私が思い、その便を予約できるか、と老婦人に聞こうとした時、彼女のデスクの上にある電話が鳴った。
 彼女はポーランド語で何やら話し始め、私の目をじっと見つめている。何度かうなずいたあと、電話を切り、私に向かってこう言った。
「OK, You can fly!
 キャンセルが出た! 私と老婦人は思わずハイタッチした。私は「ジェンクイエム」とか何とか、ポーランド語の「ありがとう」を繰り返しながらオフィスを立ち去った。その時、老婦人は何かを口走った。その内容はわからない。でも、たぶんポーランド語の「よいご旅行を」的な言葉だったと確信している。

 

 私はスーツケースを引きずりながら全力で走ってフランクフルト行の最終便に間に合った。フランクフルトに着くや否や、タクシーに乗って、友人たちが宿泊しているホテルに直行した。
「本郷さん、良かったですね。ほんと、ルフトハンザがストライキするっていう連絡が会社から入るのが遅くて」と旅行会社の添乗員は言った。そう、私は添乗員よりも早くストライキの情報を知ったのだ。もしそれがなかったら、私はあのままクラクフで一泊して、次の日の朝に空港で青ざめていたはずだ。

 

 ホテルの外で一服していると、ドイツ人の男が話かけてきた。私はやや興奮気味に一連の出来事の顛末を語った。
「ルフトハンザがストライキをするのはたしかに珍しい」男はそう言った。「知ってるだろ? ドイツはヨーロッパの日本って言われてるからね。日本もストライキは少ないだろう?」
 日本でストライキに出会ったことはない、と私は言った。ただ、存在はするよ、と付け加えておいた。

 

 そういうわけで、無事翌日の関空行きの便に乗ることが出来たわけである。ストの行われているフランクフルト空港はなかなか興味深かった。カウンターが八割くらい閉まっていて、労働組合が無料でジュースやパンを配っていた。どうやら賃上げ要求のストだったらしい。
 新聞広告などでルフトハンザの広告を目にしたことがある方も多いのではないだろうか。この航空会社のコーポレートスローガンは、

Nonstop you

 である。ふざけるなと私は言いたい。

But YOU stopped!

 私ならこう上書きする。

 思いの外話が長くなったが、要するに、ツイッターアカウントをフォローするかしないかは死活問題になり得る、ということを言いたかったのである。
 私がルフトハンザのアカウントをフォローしていたのは、考えてみれば、出発時の降雪のせいなのである。もし普通に出発できていたら、私はアカウントをフォローすることはなかっただろうし、ストライキに気づくこともなかったと思う。

 

 メディアとしてのTwitterには賛否両論ある。速報性に優れてはいるものの、情報の質を見極めるのが難しいという欠点がある。デマが拡散しやすいのである。しかし、公認された企業のアカウントにはそれなりの信頼を置ける、というのは言っても良いと思う。要するに、自分の利益のために使えばとりあえず問題はないだろう。

 

 というわけだから、この夏、旅行に行かれる前に、利用する交通機関のアカウントをフォローしておくことを強くオススメしたい。