事実は小説より奇なり 大平健著 顔をなくした女ーー<わたし>探しの精神病理

 

顔をなくした女―〈わたし〉探しの精神病理

顔をなくした女―〈わたし〉探しの精神病理

 

 

 

顔をなくした女―〈わたし〉探しの精神病理 (岩波現代文庫―社会)

顔をなくした女―〈わたし〉探しの精神病理 (岩波現代文庫―社会)

 

 

 本書が出版されたのが1997年。もう17年前である。そして本書に収められている文章の多くは、1995年ーー阪神大震災と、地下鉄サリン事件で記憶される年ーーに書かれたものだ。この年はおそらく、人の心というものがクローズアップされた年だったとも思う。

 

 著者である大平は1949年生まれの精神科医だ。その経歴でおもしろいのは、普通のコースで医者になる前に、ペルーの貧民街で一年間に渡って診療活動を行っていたことだろう。また、著作も活発のようで、本人曰く、「書いてみないと自分が何を考えているのか分からない性分(p.174)」なのだそうだ。

 

 本書には七つのレポート(というべきなのだろうか?)が収められている。文量でいえば短編小説が七つ、といっても良いと思う。そのどれもが、大平自身が診察した患者たちについての考察であり、そこから現代の(90年代の)病理を描き出している。大平はもちろん、これらの患者たちに許可を取った上で、名前を明かさずに掲載しているわけだが、おそらく脚色は全くないのだろう、実に生き生きとした文章で患者との対話の模様が綴られている。

「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、それを地で行ったような体験談の数々である。とくにおすすめしたいのが冒頭の表題作「顔をなくした女」、きちんとオチまで用意されている「男が上人になった経緯」、そして最後の「偽患者の経歴」である。

 

「さて、冬の間は私の所へ通っていただくわけですが、今一番お困りのことは何でしょうね?」
 と尋ねると、患者は指の間から覗く瞼を軽く閉じると、低い声で
「実は、私、顔がないんです」
 と言い、ゆっくりと、それまで覆っていた両手を下ろしたのだった。(p.5)

 

 これが「顔のない女」である。さてこの話がどう転んでいくのか・・・。
 本書の一番の見所は、普通の人(その親でさえ)なら分からないはずの、患者の抱え込んだ思いを、的確に読み取っていく大平の明晰な知性である、ということは間違いないと思う。上記の「顔のない女」の話も、大平が女と対話していくうちに、女が顔を失ったきっかけ、そしてどのようにして取り戻すかというところまでが淡々と描かれているわけだ。それが面白くないわけがない。

 

 一般に、人が「言ってなかったっけ?」と言うとき、それは、相手との間に以前”小さな隔たり”があったことを物語っている。その”隔たり”を無くすために、それのもとになっている”ささやかな秘密”を相手に明かしておいた方がよいという判断が働いたのに、打ち明けてしまうと相手との親密さがかえって損なわれるかもしれないという予感もして、つい、言いそびれていたーーそういうことである。(p.89)

 

「あれ、言ってなかったっけ? 俺、仕事やめたんだよ」みたいに、急な打ち明け話の枕詞のように使われる「言ってなかったっけ」も、大平の分析によると意味深いものになるわけだ。これは「男が上人になった経緯」からの引用である。これはきちんとオチがつく話で、むしろ噺といったほうが良いかのような軽妙ささえ感じられる物語(のようなもの)である。

 

 そして最後の「偽患者の経歴」は、収録七作中最も奇怪で、最も謎に満ちた患者の話である。この作品だけ法月綸太郎の「本格ミステリ・アンソロジー」にノンフィクションながら掲載されたことがうなずけるストーリーになっている。このことはまさに事実が小説よりも奇であることの証左であるようにも思える。引用は避けるが、ほとんど完璧な短編小説と言ってもおかしくないくらいの魔力を持った体験談だ。

 

 十七年前の精神病理を覗いてみることは決して現代においても無駄な試みではないだろう。人間の不思議に興味があるすべての人にお勧めしたい一冊である。