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「イスラム国」について考える前に 内藤正典著『イスラームから世界を見る』

 例の人質事件があってから、連日「イスラーム国(ISIL,ISIS,IS,Daesh)」についての報道がなされている。インターネット内外問わず、この「イスラーム国」について、知識人や、あるいは、知識人ではない一般の人々が意見を表明し始めている。その中には感情的なものもあれば、政治的なものもあるし、あるいは宗教的なものもある。ひとつ確実に言えることは、日本人(あるいは世界中の人々)が「イスラーム国」について「考えざるを得ない」段階に来たということだろう。

 

 しかし、その前に……わたしたちは、「イスラーム」を理解しているだろうか?
 テレビや新聞というメディアはその性質上、情報が網羅的ではなく、断片的なものになってしまう。ここでひとつ、イスラームについてまとまった知識を得たい、という人が頼るべきはやはり一冊の本ということになる。

 

 そんな時にオススメなのが本書『イスラームから世界を見る』である。

 

 

 著者は、最近テレビにひっぱりだこの内藤正典氏である。忙しい人であるはずだから、仕事の合間を縫って在京・在阪のテレビに出演されているのであろう。

 

 わたしがそもそも本書を手に取ったのは、2013年の1月のことである。
 イスラームに興味に持ったきっかけは色々あるが、何といっても2011年にはじまった「アラブの春」だった。どちらかといえば政治学的な文脈からアラブ世界に興味を持ち、当然のなりゆきとしてイスラームを知りたいと思うようになったのだ。
 というのも、わたしは(平均的日本人らしく)キリスト教や、仏教についてはある程度の知識を持っていたが、イスラームについてはほとんど無知だったからだ。

 

イスラームの死生観

 

 本書ではイスラームについての概説がなされている。実際のエピソードを織り交ぜながら、わかりやすく解説してくれている。
 その中でも、最も重要なポイントがイスラームの死生観である。

 内藤さんは、原点においてイスラームは商売人の宗教といってもよいと書いている。
 これは、もちろん預言者ムハンマドが商売人であったことに由来する。
 それゆえこの宗教には商売の「公正」について非常に細かな規則があるという。
 本書で書かれているエピソードの中には、商売人的な合理主義を感じさせるものがいくつかある。
 中でも、夫婦についての規定はなかなか興味深い。

 

 たしかにイスラーム法にしたがうと、離婚は夫が妻に三回「別れる」と宣言すると成立します。(p.31)

 これは、イスラームを批判する時によく使われるフレーズの一つだろう。イスラーム女性差別を認めている宗教だ、という文脈を示そうとする時に語られることが多い。
 しかし、この規定には続きがある。

 それ見たことか、と言われそうですが、実際はそう簡単にはいきません。喧嘩のついでに「出ていけ」と三回怒鳴ったりすると、本当に、離婚が成立します。したがって、DV亭主がよくやることですが、暴力をふるったあとに、すがりついて「君がいないと、僕はだめなんだよ」と言っても後の祭りです。よりを戻してしまえばいいじゃないか、というとそうもいかないのです。イスラーム法では、離婚は男性側が一方的に宣言すれば成立しますが、よりを戻そうとすると、その前に、妻は、一度別の男性と結婚して「蜜の味」を味わうことが必要と定められています。愚かな夫は、一度、妻が他人と結婚した後でないと、よりを戻せないと定められています。これは、ムハンマドの言行録ハディースに典拠がありますので、全てのムスリムが従わなくてはなりません。(p.31-32)

 このあたりの話は非常におもしろい。合理主義というか何というか、こう、だれかがこういう経験をしたのだろうなという想像をかきたてられる。そしてそうすること(妻が一度べつの男と蜜を吸うこと)が「公正」だから、イスラームのきまりとして今も尊重されているのだろう。

 ではすべてにおいてこういったある種の合理性、経験主義に裏打ちされた宗教かというと、そういうわけではない。
 この宗教は、「人の生死に関することがら、運命に関することがらでは、断固として合理主義の発想をしりぞけ」(p.24)るのである。


 それについて最も印象的なエピソードが、「おわりに」で語られているトルコでの大地震の話だ。
 2011年10月に、トルコ東部で大きな地震があった。日本のNPO法人「難民を助ける会」のメンバーが現地で支援活動をしていたが、11月に再び大きな地震が起き、そのメンバーのうち二人が宿泊していたホテルが倒壊してしまった。
 この二人のうち、男性は亡くなり、女性は負傷したものの救出された。
 トルコ政府は、亡くなられた方を国葬のような扱いで追悼した。
 この悲しい事故に対するトルコのムスリムの反応を、内藤さんは以下のように記している。

 

 この事故について、ムスリムたちが私に言ったことはみな共通していました。「助かった女性は、彼女の「善き意図」をアッラー(神)が汲み取って生かされたのでしょう」。
 こんな言い方をされると、「では、亡くなった方はどうなるのか」と私たちは考えます。すかさずムスリムたちが私に言ったのは、「アッラーは彼をその善行のゆえに御許に召されたのです」という一言でした。
 私たちにはわかりにくいことですが、アッラーというのは超越的な絶対者ですから、森羅万象のすべてを動かす力をもっています。それゆえに、時として、人間には辛く悲しいことも引き起こすことがあるというのです。日本では、「神さまの悪戯」というような表現を使うことがありますが、イスラームでは神は悪戯などしません。神の意志は人間には知りえないものなのです。
 善意の人が命を落とした場合には、亡くなられた方がムスリムであろうとなかろうと「御許に召す」、すなわち来世での「楽園(天国)」が間違いなく保証されたと解釈するのです。イスラームでは、非ムスリムもまた、超越的絶対者としての神によって造られた存在です。……(中略)……
 国家の長たる大統領や首相は、ムスリムたる国民が居ても立っても居られないほどに悲嘆している姿に、国家としてできる限りのことをしました。もし、しなかったら、彼らの政治生命は終わります。思い出してください。なぜ、チュニジアの独裁者ベン・アリやエジプトの独裁者ムバラクが市民の手によって追放されたかを。(p.235-236)

 この死生観に代表されるような考えが、わたしが思うに、イスラームの根本的な発想であるように思われる。
 翻って、「イスラーム国」はどうだろうか?
 わたしたちは、確かに「イスラーム国」による脅威にさらされ始めている。それはひとつの危機ではある。しかし、今回の事件をきっかけに、イスラームを誤解する可能性……それもまたひとつの危機である。そしてその危機は、わたしたちがもっと恐れるべき危機であるように思えてしまう。
イスラーム国」はイスラームではない、ということは今回盛んに言われていることである。
 しかし、そう言う前に、イスラームとは本当は何なのか? それを少しでも知ろうとするべきなのではないだろうか。