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点と線

 

 もう年始の気分などまったくないくらい日々に忙殺されているが、大晦日に数時間だけ実家に帰る機会があった。

 といっても私の場合、実家から1キロほど離れたところに住んでいるので、帰ろうと思えば、毎日だって実家に帰られるのである。多くの人が言う「実家」とは、物理的にも、心情的にも異なるかもしれない。

 しかし、1キロしか離れていない割には、年末に数時間しか帰ってないし、年間を通じてみても、実家に泊まることすらない。大学生の時に経験がある人もいるかもしれないが、大学付近に下宿している奴に限って集まりに遅刻したりする。それと似たような論理で、近いからこそ、帰りづらいものなのかもしれない。

 

 それでもやはり、実家は実家である。

 

 今回帰ったとき、いろいろと思うことがあった。

 実家には母親と猫が住んでいる。久しぶりに会って、どうでもいいような会話をした。

 母親が作ってくれた年越し蕎麦をすすりながら、ふと思った。

 私は母親とあと「何回」会えるのだろう。私は猫と「何回」会えるのだろう。

 子どもの頃は、毎日母親と顔を会わせていた。毎日猫を抱いていた。姉や父もいた。場合によっては、祖母もいた。それは言ってみれば、「線」の時間が流れていたのだ。途切れることのない時間。昨日と今日が同じで、たぶん明日も同じような日がやってくる。

 でも今は、きっと線で感じられるような時間は流れていない。今、私と家族の間に存在するのは、「点」としてしか感じられない時間しかない。だから、今日は一回。次はいつ来るかわからない。もしかすると、今日が最後の「点」かもしれない。

 

 それを悲観しているわけでもない。点だからこそ、その一回一回に、濃淡が感じられるかもしれない。心に残るかもしれない。あるいは、大切に思うようになれるかもしれない。慈しむように、その点となってしまった時間を過ごせるかもしれない。

 

 そんな風に感じられるとしたら、大人になるということも、案外悪くないのではないかと思っている。とはいえ、私はまだ26歳だから、大人といってもまだまだ未熟なうちに入るのだろう。私もやがて、線の時間を誰かと共有し、いつかはひとつの点となって消えてゆくのだろう。