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ジェネレーションギャップの本質

 最近、あまり大層なことを考えなくなっている。短いけど、最近気づいて「おもしろいな」と思ったことを書いておきます。

 

 高校生の生徒と話していて、どうもジェネレーションギャップというのを感じることがある。この間は、「カップルの写真つきツイートにどのくらいのファボがつくか」という話だった。高校生いわく、人気のあるカップルは平気で200Favくらいついて、あんまり好かれていないカップルは20Favくらいなのだそうだ。「いいね20とか、普通に(同性の)遊び(に出かけた際の)の写真でもつくで」ということであった。つまり、20Fav程度しか稼げないカップルというのは、もうひとつ評判のよくないカップルということになるらしい。

 

 そのようにしてカップルの評価がなされていることは大変興味深いのだが、それよりも、そんな風に、カップルの写真を堂々とツイッターにさらしてしまうということに驚いたわけで、「これがジェネレーションギャップなのか」などと思った。最近の高校生は、なんでもオープンにしちゃうんだなあ、と。

 

 そこまで考えて、それは違う、と思ったのだった。世代が変わり、性格とか行為が変わったのではなく、変わったのはテクノロジーなのだ。もし私たちの時代にツイッターがあったら、たぶん、同じようなことになったと思う。私たちはよく、そこを見間違っていると思う。

 

 しかしテクノロジーと感性というのも、相互依存、相互に影響しあう関係なのだろうなという気はしている。つまり、そのようなテクノロジーがあるから、カップルに対する考え方、倫理観、もっと言えば世代の雰囲気みたいなものが醸成されていくのだと思う。

 

 というわけで、ジェネレーションギャップというのを、感性の変化と捉えるのは短絡的だし、テクノロジーの変化がすべてであり、世代間の感性にまったく違いはない、と言い切るのも拙速な結論なのだろう。要するに人間の性格とか感性とかいうものは、ドラム缶に入れたセメントみたいなもので、どこで、いつ固まったのかハッキリしないものなのだと思う。