「苦手」のコペルニクス的転回

 誰にでも苦手なことはある。私が苦手なもの、ブロッコリー、ダイエット、早起き、理科全般、会議、セカンドトロンボーンの楽譜、ドイツ語の格変化、地図を読むこと、etc,etc……。

 あるいは苦手な人、みたいなのも、どうやらあるようだ。

 私自身は、自分で言うのも何だが、比較的人の好き嫌いがない方だと思っている。それは多分、どんな仕事をする上でも有利だろうし、日常生活においても心穏やかに過ごせる、本当にありがたい資質だと思っているのだけれど、それでもやはり多少苦手な相手はいて、そういう人と接する時は少しばかり体力と精神力を使う。好きな人とだけ付き合っていたいが、そういうわけにはいかないのが世の中だ。

 

「苦手」という言葉は、日常的に使う言葉だと思う。

 私のように、塾の先生などという浮世離れした仕事(個人的にはそう思っている、どちらかといえば善い意味で)をしていると、それはもう毎日のようにこの「苦手」という言葉を聞いて過ごしている。

 

「理科は苦手なんです」

「うちの子はリスニングが苦手なんです」

「数学を教えるのは苦手です」

「そもそも勉強が苦手、何のためにするのかわからない」

 

 エトセトラ、エトセトラ、である。大抵ふんふんと言いながら聞き流しているのだが、この間面白いことを読んだ。

 

 蛇についてである。

 

 趣味と言ってもいいのだが、私は随分小さい時からインターネットに入り浸っているので、これまでの人生で相当な時間を、ウィキペディアを読むことに費やしてきたと思う。いや、ウィキペディアはかなり多くの人が読んでいると思うが、おそらく同年代の人々と比べて、私ほどウィキペディアを詳細に読み込んでいる人はいないと思う。妙なところで自信がある人間なのだ。

 それで、ウィキペディアの何が面白いかというと、これは何と言っても動物に関する記事だ。特にお気に入りなのが猫の記事で、これは年に数回読む。何度読んでも良いし、読むたびに新たな発見がある。次に好きなのが蛇に関する記事である。私自身が巳年生まれということもあるし、昔徳島の田舎の川で蛇に咬まれかけて九死に一生の経験をしたこととも関係があるのだろうが、蛇についての記事も年に一回か二回は読んでいる。

 

 それで、この間、夢に蛇が出てきたのをきっかけに、ぼんやりとウィキペディアの蛇の項を読んでいると、次のような一文に出くわした。

 

苦手(ニガテ)
力量と関係なく、何故か特定の物や人との優劣が決まってしまう状況や心理を指す言葉。手を出すだけでマムシを硬直させ、素手で容易に捕まえる稀な才能を持つ手を「ニガテ」と呼んでいたことからくる

 

出典:「ヘビ」(https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘビ)

 

 私が今まで思っていた「苦手」とは全く逆の意味が載っているではないか。

 いや、前半部分は概ね同意できるというか、普通の「苦手」の意味だ。

「力量と関係なく、何故か特定の物や人との優劣が決まってしまう状況や心理を指す」

 これは全くその通り。「何故か」というところが良い。そう、苦手、というのは、何故だかわからない、それなりに努力をしているはずなのに、何故だかうまくいかない相手とか状況を指すはずなのだ。問題は後半部分である。

 

 手を出すだけでマムシを硬直させ、素手で容易に捕まえる稀な才能を持つ手を「ニガテ」と呼んでいたことからくる

 

 もしこれが語源の真実だとすると、苦手というのはむしろ得意とする状況を指すのではないか。つまり、ここで語られている「苦手」というのは、「蛇が苦手とする相手」のことなわけで、要するに、蛇に対して論理を超越した特別な能力を持った人間の、その手のことを「苦手」と呼んでいたということだ。はっきりと書いてある。苦手というのは、「稀な才能を持つ手」だと。

 

 だとすると、当然以下の疑問が浮かぶ。

 いつから「苦手」の意味が変化したのか。主体と客体が入れ替わったのか。

 

 残念ながら、今のところそこまではわかっていない。暇があれば図書館にでも行って「日本語国語大辞典」(あれは本当にすごい辞典だ)あたりを調べてみようと思うのだが、もしかすると昔は「苦手を持つ」というのは本当に良い意味で使っていたのかもしれない。例えば、

 

「あいつはセカンドトロンボーンの楽譜に対して苦手を持っているよなあ=セカンドトロンボーンが得意だ」

(He has a nigate to a sheet of second trombone=he is a specialist of second trombone.)

 

 といった構文だったのが、現代になるにつれて、

 

「あいつはセカンドトロンボーンが苦手だよなあ=何故かセカンドをうまく吹けない」

(He is a nigate to second trombone=he can't play the trombone well when he plays second trombone.)

 

 と変化して、英語でいうところのhaveの表現がbe動詞的に変化して、主体と客体が入れ替わってしまったのかもしれない。

 

 真実は不明だが、何となく「苦手」という言葉の姿が変わって見えるような知識ではある。これを知って以来、「苦手」という言葉が、それほど重くなく考えられるようになってきた。なんといっても、それは得意という意味なのだから。だからと言って、ブロッコリーが好きになったりはしないのだが……。