音楽主義という思想について

 もし自分が政治家になったら、という空想を口にすると、ずいぶん自意識過剰と思われるか、あるいは政治家を志していると思われるか、そのどちらかかもしれない。しかし一応は民主主義という政治形態を取っている以上、この日本という国においては、市民が主権者であり、治者と被治者が一致することがその特徴なのだから、そういった空想はひとりの有権者としてむしろ奨励されるべきなのではないか、国民ひとりひとりが政治家としての意識を持つべきなのではないか――というのはいささか教科書的なレトリックだが、まあそんなことを考えるのも無駄なことではないと思うのだ。


 それで、もし私が政治家になったらという話だが、タイトルにもあるように、音楽主義という主義主張を掲げたい。
「音楽主義」というのは、ありそうでない言葉のようだ。一応、ネットで調べてみたのだが、「音楽主義」という名前のフリーペーパーとか雑誌のようなものはあるようだが、思想(=ism)としての音楽主義を論じている人というのはいないようだ。
 というわけで、私が発明者ということで良い(のか?)だろう。

 

 では音楽主義(musicalism ムジカリズム)とは一体何か。
 これは、音楽こそが人類の平和を構築するという信念を持つ、そういった政治思想である。自分で言うのも何だが、極めて理想的な政治思想である。しかし思想というものは、思想くらいは、思い切り理想的であってもよい、というのが私の考えである。

 

 私は音楽の世界を過度に美化するつもりはないが、自分の音楽経験から言って、人と人とを結びつける手段として、音楽ほど優れているものはないと思っている。音楽を徹底的に利用すれば、平和に近づけるのではないか、というのが音楽主義の基本的な立場からの仮説である。

 

 舞台に立つことを繰り返していると、舞台に立つ人のことが、だんだんと解ってくる。あるいは「舞台」というものの性質が、その聖なる力が何なのか、ひしひしと伝わってくる。この社会――打算や憎悪が渦巻く社会――において、舞台ほど、本番の日ほど純粋な時空は存在しない。およそ舞台に立つ人々は、誰ひとりとして悪意を持っていない。音楽の力がそうさせるのだ。

 

 いや、そんな時空は他にも存在する、という意見もあるだろう。スポーツのフィールドだって同じだ、演劇は、バレエはどうだ。それで構わない。音楽主義は、何ものとも対立しない。何も排除しない。何も強要しない。
 ただ、おそらく最も手軽で、プレッシャーが少なく、いちばん大勢の人間が同時に参加でき、かつ安全に楽しめる「舞台」を提供できるのが音楽ではないか、ということなのだ。

 

 政治思想としての音楽主義が目指すものは、つまるところ「平和」であり、この一点に尽きる。一言で言えば、音楽を通じてみんなが仲良くなれば戦争は起きない、戦争は予防することができる、というひどく青臭い理想なのだ。
 ここで言う「戦争」とは必ずしも国家間の戦争のみを指すのではない。ケンカもそうだ。暴力を伴う対立をすべて戦争と定義してもいい。

 

 では、音楽を利用した平和な社会を目指す音楽主義が、具体的な政策として、一体何ができるのだろうか?

 

 それは「楽譜を読める人を増やす」ということだ。シンプルだが、ある程度楽譜を読めなければ、やはり音楽の舞台に立つことは難しい。だいたい、「楽譜を読めない」ということが、現状の音楽への参加を妨げている可能性は大いにあるのだ。

 

 楽譜は克服すべき参入障壁でもあるのだが、同時に、音楽主義者たちにとって聖典でもある。音楽主義の核とは、すなわち音楽にとっての核とは、多くの人があまり意識していないことだが、実は「楽器―楽譜―演奏者」という三位一体なのだ。

 

 人は、演奏者と楽器に注目しがちである。しかし、音楽の作り手の第一、つまり作曲家が作り出すものは、よくよく考えてみれば(物理的な意味、つまり物質界≠イデア界的な意味で言えば)楽譜なのである。


 画家は絵を描き、絵が残る。彫刻家は木を彫り、彫刻が残る。作曲家は曲を作り、残るのは楽譜である。また、音楽の作り手の第二である演奏者が頼りにするものもまた、楽譜なのである。


 楽譜のみが、音楽の要素として、唯一、無から有を創り出す、最もクリエイティヴ(書かれている)存在なのだ。触媒と言い換えてもいい。楽譜が存在しない限り、音楽が時代を超えて再現されることはない。

 

 時代を超えるという点も、音楽という芸術が持つ美質のひとつである。私たちは楽譜を通じて、昔の人とまったく同じ空気を震わせて、その時代の世界を再現させることができる。そうして、昔の人が味わっていた空気の振動を、少しだけ感じ取ることができる。こういった点も、共同体の永続性という、政治のひとつの究極的な目標と一致してくるだろう。

 

 こういったあたりが、現時点での私としての音楽主義の主張である。
 音楽と政治というと、どうしてもワーグナーナチスとか、そういったことが想起されてしまうのだが、大真面目に音楽で政治やって平和を目指すというのがあってもいいと思う。
 オリンピックがあるので、元スポーツ選手がそのキャリアを活かして政治家になったりするのはわりと自然なことのように思われているのだから、音楽をやっている政治家がいてもいいはずだ。
 

 さて、出馬するのはいつになるやら。