数学と私 その4
4.模試と私
私が通っていた高校は大学附属の学校だった。いわゆるエスカレーター式というやつだが、推薦基準なるものがあって、それを満たさないと大学に上げてくれないのである。
なぜか私たちの学年からその基準が厳しくなって、業者の模試を受けて、その結果で大学行かせるかどうか決めようじゃないか、という話になった。残酷なことに、成績のいい人は希望の学部を選べて、そうでない人は選べない、というシステムだ。細かい点数配分などは忘れたが、高1・高2で一回ずつ、高3で二回の計四回受け、合計点で勝負するということだった。
数学はイマイチ、理科は数学以上に絶望的、という高1の私は、「国・英・社あたりで稼がんと大学行かれへんな」と、マインドは中学受験とさして変わらない。どう対策をすればいいのか分からぬまま(というか、私以外もみんな分かっていなかったと思う、施行初年度だし)、夏は部活漬けで過ぎてゆき、結局学校から貰った「対策冊子」をサラサラと解いただけで秋の模試に臨んだ。
しばらくして結果が出る。何と、数学の成績が一番良い。逆に、一番得意である国語がボロボロである。
私は今でもこのことにあまり納得が行っていない。
しかし、その傾向は高2・高3になっても続く。高3の一回目の模試では、数学Bの選択問題で「ベクトル」を選び、その大問は満点だった。そのあたりまで数学は本当に得意だったようで、国語の点数が数学のそれを超えることは一度もなかった。
結局私は四回あるうちの三回で大学に行く基準を満たし、それ以降全く勉強しなくなった。だから微分積分は今でも怪しい。
ここまで書いてきたことが、教育の中での数学と私の話だった。
実は、本当に書きたいことはこの先にある。
私がこの文章を書き始めたキッカケは、以下の記事を読んだからだった。
(声)苦労して微積分学ぶ必要ある?
再任用地方公務員 〇〇〇〇(愛知県 62)
今も昔も数学に苦い思いをした人は多いと思う。特に高校に入った途端に難しくなり、苦手科目になってしまう生徒も多いのではないだろうか。しかし、大学入試では、数学は昔から国語、英語と並ぶ主要科目だ。私もそれを当然と受けとめながらも、微分・積分や関数などに悪戦苦闘した。
私は獣医師職の公務員だが、これまでの仕事で微分や積分を必要としたことは一度もなかった。2人の娘もやはり高校時代には数学で随分苦労したが、社会人となった今、高等数学とは無縁の仕事に就いている。大学生や社会人になってから、実際に高等数学の知識が必要である人はかなり限られているように感じる。
そこでつくづく思うのは、高等数学というのは、高校を卒業してからそれぞれの必要に応じて学べばよいのではないかということだ。日常生活に関わる基礎知識や教養という点では、社会科や理科の方が重要な部分が多いと感じるし、高校教育での数学の比重が大き過ぎるように思う。現在の教育界にこのような議論はないのだろうか。
私は、数学が、「職業」にとってどのように役立つかということに関してはあまり興味がないし、それについての論を持たない。
しかし、「人生」にとって数学がどのように役立つかということなら、書けそうな気がする。
この意見、要するに「数学って(そこまでたくさん・そこまで深く)勉強しなくてもいいんじゃない?」に対するささやかな反論のつもりで、何か書こうと思った。
その前に、そもそも私が数学とどういう関わり方をしてきたのかを書いた方が、読む人にとってフェアだろうと考えて、つらつらと書いてきたのがこの文章である。
そんなわけで次回は、「数学」というものが、人生の中でどんな風に役立つのかを、私なりに書いてみたいと思う。