横断歩道のこと

 

 

 職場の近くに、みじかい横断歩道がある。幅およそ二メートル程度で、大人の足で二、三歩で渡れてしまう。交差する車道は一車線で一方通行で、見通しもよく、そもそも滅多に車が通ることがなく、だいたいの人は、赤信号でも、わりあい躊躇なく渡ってしまうようだ。私は通勤の行き帰りに絶対に通るのだけれど、基本的に信号は守る性質である。例の、元号が変わった時に、「令和は、絶対に信号を守る」と一人固く誓ったのだから、当たり前といえば当たり前だ。

 

 さて、だいたいの人はわりあい躊躇なく渡る、と書いたけれど、ときどき面白いことがある。そこは、その横断歩道の角にコンビニがあるせいか、実に多種多様な人々が行き交う道なのだけれど、子供を連れた親などがいる時などは、みんな何となく、赤信号で渡るのを控えているように見える。いや、私にそう見えているだけで、たまたまそうだというだけかもしれない。たまたま、親子が信号をちゃんと守っている時に、周りにも普段から信号を守る人たちがいただけの話かもしれない。統計を取ったわけではない。でも、確率的に、どうですか、あなたは、急いでいなければ、もし横断歩道の向かいに、車もまったく来ていないのに、赤信号をしっかり守っている親子が立っている時、どうですか。信号を守るのではないですか。特に理由もなく。

 

 私は何となくそう思っている。普段はサッサと信号など気にせずそのみじかい横断歩道を渡ってしまうような人も、正面に小さい子どもの手を引いた親が(「ホラ、赤だからね、渡っちゃダメだからね、青になっても、ちゃんと、右左確認して渡ろうね」などと言っていなかったとしても、だ)見えたら、案外ボケっと信号待ちをするのではなかろうか。私は、人間のそういうところが好きだし、人間のそういうところには、賭けるべきものがあるよなぁ、と思うのだが、きょう、なかなか興味深い光景を目にした。

 

 夕方で、例の横断歩道で、こちら側には私一人。向かい側には、若い父親と、三、四才くらいの小さな娘がいた。信号は、赤で、手ぶらの私は腰に手を当てて信号が青に変わるのを待っていた。


 その時私はたしか、何か考え事をしていたと思うのだけれど、何を考えていたか思い出せないのだけれど、突然、目の前で信じられないことが起きた。赤信号なのに、その親子は悠然と道を渡ったのである。しかし、横断歩道は渡らなかった。父親は、娘の手を引いて、わざわざ横断歩道からはみだして、要するに、車道をさっと渡ったのだった。


 父娘がこちら側にやってきて、私の横をすり抜けていく間、私は感心していた。なるほど、こういうやり方もあるのか、と。

 

 多くの人が、子供を前にして信号を無視できなくなるのは、そこに一種の規範意識があるからだろう。それは実は社会を支える重大な力であり、これはその顕れのひとつだ。要するに、社会化された大人たるもの、法律を守るべきであり、日本という法治国家では、信号ひとつが道路交通法という法律で規定されているのであり、それを堂々と破ってはならないし、もし、大人が平気でそのようなことをして、子供がそれを見て育った場合、その子供は規範意識の欠如した、とんでもない犯罪者になるかもしれない。こんなことを考えて信号待ちをしている人はいないが、無意識的に、あるいは、社会的動物としての本能のゆえに、私たちは、子供の前で信号を守ろうとするようである。

 

 ところが今日私が見た父親は違った。道路交通法的にどうなるのかは知らないが、確かに、彼は、わざわざ横断歩道を外れて車道を歩いた。もしかすると、その男は、昔からそうやっているのかもしれない。「おまわりが見てるかもしれないし、赤信号の横断歩道を渡る勇気はないけれど、ちょっと外れて、車道なら問題ないだろう」ということだったのかもしれない。あるいは、ものすごく急いでいて、普段なら絶対に子供と一緒の時信号は守るけれど、緊急事態だから、これは、だからせめて車道を歩こう、仕方ないんだ、これは、というフォローをあとで子供にこんこんと聞かせているのかもしれない。

 

 しかし、私には、これはたぶん見当違いだと思うのだけれど、その父親は、娘に何かを教えているように見えたのである。何を教えていたのか、と問われたら、答えようがない。だが、いうならば、それは、ものすごくスケールの小さい、でもある種の「生き方」でもあるような気がして、ほんのわずかな時間の出来事だったけれど、妙に感動してしまったのである。

 

 

 そのあとで、数年前に似たようなことがあったことを思い出した。

 


 私はその日、天満橋の居酒屋で父親と飲みに行く約束をしていた。店の場所を父親がLINEで送ってきて、私はそこに向かった。父親はすでに店に入っていた。ビルの3階にあるその店の窓からは、たまたま道を急ぐ私の姿が見えたらしい。


 谷町一丁目の北東角から、南東角に移るだけの、これも短い横断歩道だった。国税と大手前高校のグラウンドに挟まれた車道を渡る横断歩道だ。父親の談によると、私が横断歩道に着いた時、ちょうど信号が赤に変わったらしい。私は律儀に青に変わるのを待って、渡ったらしい。その間、横切る車は一台もなかったらしい。

 

 

「お前さあ、車来ないのわかってるんだからさあ、渡ってこいよ」

 

 

 と、私が店に着くなり父は笑ってそう冷やかした。


 そういえば私はこういう父親に育てられたなあ、ということを思い出して、たぶん、今日見たあの幼い女の子も、かたくなに信号を守る素敵な女性に育っていくような気がした。