needとwant

 

 言葉がいつもヒントになる。私たちはそういう話ばかりしている。年に一度しか会わない種類の友人がいる。ユズルくんはそういう友人だ。かなり特殊な友人だ。特殊というのは、年に一度会うから、という意味ではない。彼とは留学先のフランスで出会った。寮で隣の部屋どうしだったから、1年間、同じ鍋のパスタを食った仲である。お互い社会人になった今、年に一度程度会って話をする。

 

 深刻な腰椎椎間板ヘルニアに悩まされていた去年の暮れ、私は片足を引きずってユズルくんに会いに京橋まで出た。会うと、「あれ、痩せてないじゃないですか」と彼は言う。そういう挨拶があってもいい。適当なお好み焼き屋に入って私は焼酎のお湯割を頼んだ。ヘルニアみたいにひどい味がした。ユズルくんは普段静岡で働いているが、実家は大阪にある。サマセット・モームの話をしたついでに、彼は、私がすこし前に書いたブログの記事に言及した。

 

satoshi-hongo.hatenadiary.com

 

 

「ショウさんが言いたいことは、つまり、”what”じゃなくて、”how”を大事にしたいっていうことですよね」

 

 なるほど上手いこと言うものだと感心した。私はその記事の中で英語には注目していないのだけれど、たしかに、「whatよりhowという話」と言えば、ものすごく分かりやすい。外国語には、母国語で説明できないことを易々と説明してしまうズルさがある。

 

 そこで私は、英語という言語を使って、前々から気になっていた、ある物事を掘り下げて考えてみる気になった。それは、人間の欲求に関する二種類の言葉の差異を明らかにすることである。needとwant、この二つの動詞だ。

 

 手元に研究社の「リーダーズ英和辞典」があるから、まず引いてみた。
 needという動詞の意味は、

 

 1.必要とする、要する


 2.<…する>必要がある <…し>なければならない


 とある。また、wantの動詞としての意味は、

 

1.a …がほしい、のぞむ、手に入れたい、買いたい
  b <人>に用がある、会いたい

 

2.a …したい(と思う)
  b (目的補語を伴い)<...に…することを望む> <…に…して>もらいたい <…が...されることを>望む

 

3.a …が必要である、必要とする
 b (口語で)...すべきである

 

4.…が欠けている、足りない

 

 

 このうち、wantの四番目の用法は、あまりなじみがなさそうだ。例文も載っていた。

 

e.g. It wants five minutes to (of) noon. →正午5分前だ

 

 
 なるほどこういう用法もあるのか、という気がするが、とくに目新しい発見もない。needの2の用法と、wantの3の用法はほぼ同じだから、この2つの動詞は共通部分を持っていることがわかる。少し大雑把に整理してみると、

 

◯動詞としての意味

 need 〜を必要とする

 want 〜したい

 

 

 といった感じになるだろうか。ここに、具体例を自分なりに付け加えてみたい。たとえば、人間にとって大きな欲望の一つである、食欲を例にとってみたい。

 

◯食欲

 need 生きるために食べることが必要

 

 want おいしいものを食べたい

 

 

 

 needが対象にするものは、生存に必要な食、すなわち摂食ということになるだろう。wantに関しては、おいしいものを食べたいという意味に使う方がしっくりくる。

 

 では性欲ではどうなるだろうか。

 

◯性欲

 need (次の世代も)生きるために子孫を残すことが必要

 

 want 好きな人と一緒にいたい

 

 

 むろん、needとwantに共通部分があることから、それぞれが独立したものではないはずだ。食欲の例でいくと、「生きるために食べる必要がある」(need)が、どうせなら「おいしいものを食べたい」(want)とか、「子孫を残す必要がある」(need)が、どうせなら「自分が好きだと思う人の遺伝子と交配したい」(want)という説明も可能だろう。

 

 そういう時我々は、どちらかといえば、need→wantの順番で物事を理解しているような気がする。そりゃそうである。needにはどことなく、生き死ににまつわるものというイメージが付与されている。

 

 ところで、手元にロングマンの英英辞典があるので、そちらものぞいてみる。

 

 need

1. if you need something, you must have it.

e.g. These plants need plenty of light and water.

 

 

 

 実にわかりやすい。辞書というものは、言葉の図鑑ではない。辞書は言葉の水族館なのである。辞書で言葉を調べるということは、言葉に、じかに、手で触れるということなのだ。その言葉が熱いのか冷たいのか、湿っているのか、乾いているのか。どんな匂いがするのか。そんなことまで伝わってくる。水槽の中に手を突っ込んで初めてヒトデに触れたときのような。

 

 want

1. to have a desire for something.
2. (informal) : used to say that something needs to be done.

 

 

 

 informalとある。ここが面白い。informalということは、つまり、「まあ、間違ってはいないんだけれども、別の表現を使った方がいいですよ」ということだ。たしかに、どこかで習ったような気もする。wantは強いから、would likeの方がよいとか何とか。果たしてそれはなぜなのだろうか。強いから、というのはわかるが、なぜ強いのか。

 

 私はそこには、欲望の言い換えが存在していると思う。wantで言うとinformalな何か。そう考えると、突拍子もない考えが浮かんだりする。

 

 

 

needはwantを美化した表現ではないのか

 

 

 

 ということだ。needとwantどちらの言葉が先に生まれたのかは分からない(調べれば分かりそうな気がするが、そこまでやる力がない)。だが、もしかすると、先ほどの→は逆なのかもしれないということだ。もともとwantという表現があったが、その欲望は露骨だから、needという言葉が発明されたのではないか。だとすると、want→needと考えるべきなのではないか、ということだ。つまり、

 

 

「おいしいものを食べたい」から、「食べることで生存に必要なエネルギーを確保するようになった」

 

「あの人が好きだ」から、「好きになった人と遺伝子を交配して次の世代をつくることができるようになった」

 

 

 

 なんてことは考えられないだろうか。

 馬鹿げた話に見えるかもしれない。ただ、この言葉遊びから、新しい疑問が生まれてくる。

 

1.そもそも最初に食べるという動作を行ったのは誰(どんな生物)か?

 

2.そもそもなぜ遺伝子を交配する必要があるのか?

 

 

 

 後者に関しては、「有性生殖パラドックス」というものがあるらしい。詳しくは分からないが、パラドックスという名からもわかるように、その謎はまだ解かれていない。気になる人はググってみてほしい。

 

 話が広がりすぎたので、needとwantに戻ろう。ロングマン英英辞典にはシソーラスというものが書いてあって、それこそまさに言い換えの表現が紹介されていたりする。

 

 need

 →can’t do without sb/sth

to be unable to do the things that you have to do without someone who usually helps you, or something that you usually use.

e.g. I couldn’t do without email.

 

 

 want

 want something very much

 →be dying for sth/to do sth informal to want something very much.

e.g. I’m dying to meet her new boyfriend.

 

 

 例文の主人公がなぜ「彼女の新しいボーイフレンド」にメチャクチャ会いたいのか、というのも大きな謎である。おもしろくないだろうか。やはり辞書はinformalに注目すべきである。文法は文化の精髄だ。英語という文化の蓄積は、たった二つの言葉を調べるだけで色々なことを伝えてくれているように思う。私は、人間の生き死にがかかっているのは、needよりもむしろwantのほうなのではないかという気がする。必要なことが何かよりも、したいことが何かということ。ユズルくんには「ショウさんが言いたいことは、つまり、howというところを意識しつつ、”need”よりも”want"を大事にしたいっていうことですよね」と要約されてしまいそうだが、そういうことなのかもしれない。ところで年末の予定はどうなんですかね。大阪に帰ってくるんですかね。ヘルニアは治ったよ、もちろんまだ痩せてないけど。