意味がやってくる速度

 

 この間まで30歳が目前だったのに、30歳になってしまった。どうにも、「3」という数字が自分に馴染んで来ない。十年の区切りとはそういうものなのかもしれない。

 

 ところで、30歳になっても、知らない言葉はいくらでもある。この間、川上弘美の「神様」を読んでいたら、出くわした。

 

 

               

 

 これは短編集なのだが、ふたつめの「夏休み」という話の最後で分からない単語が出てきたのだ。

 

 ざっくり説明すると、主人公である「わたし」は、ひと夏の間、梨農家の「原田さん」のところで働かせてもらっている。あるとき、梨の木にできた白い瘤から奇妙なものが出てきて……という話だ。

 

 

 該当部分を引用してみる。

 

 

 翌日わたしは原田さんを訪ねた。いつもの野良着ではなく、町に行くような服装で訪ねた。原田さんは「おっ」というような声を出して、茶をふるまってくれた。
 雇ってもらった礼と、他の仕事を探すつもりであることを告げて、茶を飲んだ。
「もうすぐ二百十日だね」原田さんは煙草を吸いながら、空を見上げた。

(『神様』p.35~36 川上弘美著 中公文庫)

 

 この「二百十日」という言葉が何なのか、分からなかった。それに、話の中でも一切説明されない。分からなかったからといって話に深刻に関わってくるわけではないのだが、読後、気になったので調べようと思った。

 

 読んでいたのが出先で、手元に国語辞典がなかったので、スマホで検索してみた。すると、ウィキペディアには以下のような説明があった。

 

 

二百十日(にひゃくとおか)は、雑節のひとつで、立春を起算日として210日目(立春の209日後の日)である。日付ではおよそ9月1日ごろである。台風の多い日もしくは風の強い日といわれるが、必ずしも事実ではない。

 

ja.wikipedia.org

 

 

 はーなるほどね、要するに農家にとっては厄日みたいなもんか、「これからまた大変になるなぁ」みたいな意味で言ったのかな。と、いう風に理解した。

 

 帰宅したあと、 念のため国語辞典を引いた。新明解の五版だ。

 

 立春から二百十日目の日。台風がよく来る日と言われた。九月一日ごろ。

 

 テクストに大して違いはない。強いていうなら、ウィキペディアの最後らへんの「必ずしも事実ではない」がちょっと気になるくらいで、ウィキペディアではそれについて割合詳細な解説が述べられている。

 

 ただこの時、私は確かに、ウィキペディアで検索するのと、辞書で引いて意味を参照するのでは何かの違いを感じたのだった。そしてそれについてしばらく考えていた。

 

 違うのはたぶん、「速度」なんだろうと思う。

 

 ウィキペディアで調べた時は、意味がゆっくりと浸透してくる感じがあった。そして辞書で引いた時は、意味が豪速球で飛んでくるような感じがあった。

 

 しかし、(当然といえば当然だが)ウィキペディアと辞書でテクストは大差ない。では一体、この感じの違いはどこから来るのだろうか。

 

 おそらくそれは、デバイスの違いなのだろうと思う。

 

 スマートフォンでもPCでもいいのだが、インターネットを利用して検索する場合、意味に対する予感はゆっくりと解消されていく。まず、「二百十日」を検索窓に打ち込む。一秒もしないうちに、「二百十日」に関するWebページへのリンクが複数提示される。だいたいウィキペディアへのリンクは一番目か二番目にある。そこをクリック(タップ)すると、知りたい情報が表示されたことがわかり、それを読んでいく。説明が長い場合は、スクロールをして読んでいく。時間にして数秒であろうが、意味を理解するプロセスとしては、むしろゆっくりで、手順通りで、期待に背かないという感じがする。おそらくこういったプロセスを経ているから、意味が「ゆっくりと浸透していく」感じを受けるのだろう。

 

 一方、国語辞典の方は、手順はインターネットよりはるかに簡略だ。「な行」の最初の方に両手の親指を合わせ、バッと辞書を開く。私は(自分で言うのも大変アレだが)辞書を開くのがかなりうまい方だと思う。だいたいの単語を、1・2ページめくるだけで見つけることができる。調子がいい時は一発で当てる。ドヤ顔で言っているが、ほとんど何の役にも立たない能力(百年前ならまだしも、現代においては)だし、自分の手に馴染んだ辞書に限っての話だ。

 

 ちなみに「二百十日」は難易度Dくらい(Aが一番簡単で、Eが一番難しいとして)で、そこそこややこしい場所にあった。3・4ページはめくったし、目を上下させることが何回かあった。こちらも数秒でプロセスは終了し、無事お目あての意味を発見することができるのだが、こちらは意味がやってくる速度がデジタルデバイスに比べて格段に速い気がする。どういうことなのか。

 

 辞書は、意味の羅列をかき分けている感触がある。「え〜と……ない、ない……あった!」という風に。喩えが正しいかどうか自信がないが、「四つ葉のクローバー探し」に近いものがある。

 

 四つ葉のクローバーが、少しずつ見つかっていくということがありえないように、辞書で引いた意味が、だんだん見つかっていくということはありえない。ある程度の予感を持ちながらも、一瞬でそれは解消される。もちろん、解消されるとは限らない。もし解消されなかったら、そこからまた指の旅が始まるだけの話だ。

 

 そんなわけで、「辞書引き王選手権」みたいなのがあれば、中年の部で、枚方市代表くらいにはなれそうな気がするんだけど。