本に出会うこと

今日は西岡兄妹の「神の子供」という本を読んだ。

 

 

神の子供

神の子供

 

 

 

あまりに素晴らしい本だったのでここで紹介している。

ちなみに私はKindleで読んだが、本も欲しい。なぜなら電子書籍の最大の欠点は人に貸せないところだからだ。私はこの本を人に貸したい。

そう思うくらい、素晴らしい本だった。

 

しかし性質的に言えば、正直、おおっぴらに絶賛されるような本ではないのかもしれない。

アンダーグラウンド性というか、インナーサークルというか、そういう性質の本がこの世には存在する。

人に知られていないんだから、いいんだ。手あかがついてないからいいんだ。

これは私の発見なんだから。

そういう種類の文化が存在する。

西岡兄妹も、幸か不幸か、そういった性質の芸術家であるように思われる。

 

しかし私は違う考え方をする。

いいと思ったものは、どんどん紹介するほうがいい。

マイナーなものこそ紹介する価値がある。

私は違うけれども、プロの評論家とか批評家の仕事はそういう点にあると思っている。

しかしどうにも、メジャーな文化を評論する評論家の方が最近もてはやされる傾向にあるのかもしれない。

この辺は色々な文脈があるのだろう。

 

私が西岡兄妹を絶賛し、紹介するにはわけがある。

私はこの芸術家と、普通の出会い方をしたからだ。

 

本との出会い方というのを真剣に考えてみると、案外他人に勧められて買った、というのが多い。

その「他人」というのが現実の世界で実際に会った人でなくても良い。

物語の登場人物に勧められても良いのだ。(私なんかはこの方法で自分の読書趣味を開拓してきた)

あるいは新聞の書評欄に載っていて興味を持った、でも、ある意味他人に勧めらるうちに入る。

テレビでもネットでも友人でも同じである。

 

西岡兄妹とは結構唐突な出会い方をした。

去年の春くらいだったと思うが、私はたまたま、書店で「March was made of yarn」という本を買った。

 

 

あとで知ったのだが、これは日本語版も出ていて、そちらは「それでも三月は、また」というタイトルになっている。

3.11を扱ったアンソロジーである。小川洋子とか、多和田葉子とかも書いている。(多和田葉子と出会ったのもこの時だ)

この中で一遍だけマンガ(と言って良いのだろうか)がある。

それが西岡兄妹の書いたものだ。

「鴉と少女」という作品だ。

衝撃的だった。

何度も何度も読み返した。

読み返したが、ただただ心が震えただけだった。

私は3.11の時、外国にいたので、何か3.11を知る手掛かりにしようとこのアンソロジーを買ったのだ。

そんな目的はどこかへ吹き飛んでしまった。そのくらいインパクトのある作品で、もっと言えば力がある。ほんものの「何か」の力があると思った。

 

こんな素晴らしい作家を私は知らなかった。

こんな素晴らしい作家を誰も勧めてくれなかった。

 

もちろん西岡兄妹は、知っている人は知っているし、それなりに有名でもある。

だが、私の人生の道筋でそこに出会わなかった。

だとすれば、私は少しでも、誰かにこの芸術家の存在を伝えたい。

そう思うのが普通だと思う。私は好きな作品は、全部誰かに教えてあげたい、ちょっとおせっかいなのかもしれない。

 

ちなみに、なんでだかわからないが、このアンソロジー、日本語版のほうには西岡兄妹の作品が入っていない。

権利の関係か何かなのだろうか。もし編集の判断だとしたら、これはとんでもなく惜しいことをしていると思うのだけれど。