アマゾンが示す未来

今朝の朝日新聞にこんな記事が載っていたので楽しく読んだ。

(ニューヨーク・タイムズから)無人機宅配の時代 30分で手に入れたい?:朝日新聞デジタル

 

残念ながら会員しか読めない仕組みになっている。

関連記事はこれだ。

アマゾンの無人機配達、本当に安全? 米、公聴会開催へ:朝日新聞デジタル

 

アマゾンを利用したことのある人は、日本国内で見ても相当な数になると思うが、そのアマゾンが、無人機による配達を試みている。

もちろん航空規制があるので、実際にどうなるかはわからない。結構厳しいハードルなんじゃないかなと思う。

最初に引用した記事では、「本当にそこまでして早く商品が欲しいのか?」と、消費者の求めすぎを諫めるような内容になっているが、私は別のことを考えていた。

 

それは結構古典的なアイデアなのだが、オートメーションのことである。

昔に比べて飛躍的に便利になっているはずなのに、いまだに過労死したり、貧しさが原因で死んでいく人がいる。

日本国内に限って言っても、数は比較的少ないかもしれないが、そういう人がいるということは事実である。

この大きくて基本的でシンプルな矛盾は、なぜ解決されないのだろう。

科学の発展はたぶん、人間から苦しさを取り除いてくれるものであるべきだ。

でも実際は違う。技術が発展すればするほど、要求が高くなり、結果的にせねばならないことは増える一方なのである。それに比例して人間の体なり脳みそも進化してくれればいいのだが、残念ながら今のところ、人類がこの百年くらいではっきりと進化したという話はいまだに聞かない。

なぜなのか。

人間の欲望は尽きないから?

ある意味では正解なのだろう。

 

そうだとはいっても、やっぱり、人間の理想郷みたいなものがあるとしたら、そこの辞書に「過労死」という言葉はないはずだ。

アマゾンが無人機で配達を始める。

けっこうなことである。

こういうことがあるたびに、「機械が人間から仕事を奪っている」という人がいる。

いや、それでいいんじゃないのか?本来は。

そのために人間は機械を生み出したのだろうし、実際にその恩恵に浴していない現代人などいない、と言い切ってしまってもいいと思う。

そのうちありとあらゆる仕事を機械が担うようになる。

人間は働かなくても、「労働」(ハンナ・アーレントの言うところの)をしなくても良くなる。

働かなくても、つまりお金を稼がなくても、最低限生きていくだけに必要な生産物を機械がつくってくれるようになる。

しかもアマゾンが今回示したビジョンの中には、流通のオートメーション化の可能性が含まれている。

つくるのも機械がやって、運ぶのも機械がやる。人間はただ消費していればいい。

 

ただ、人間は何のために働くのかという問題がある。

これまた古典的な問いである。

世の中には、「人間は金のためだけに働くのではない」という人がいる。あながち間違いではない。

私は、「労働」が要らなくなるのであって、「仕事」は人間に必要であると考えている。

これは金銭の問題ではない。人が取り組むべきこと。学問・芸術・スポーツ、そういったもののことだ。

古代ギリシアでは、奴隷が畑を耕し、ギリシア人は数学やったり哲学やったりしていたらしい。そんなことを何かの本で読んだ。

本当かどうか分からないが、目指すべきはこういう世界になってほしい。

少なくとも人を死に追いやるような「労働」が排除される世の中になってほしい。

 

生活の部分を機械が担うようになった世界では、人々は大学で(あるいは中学・高校で)学問をやって、その研究に一生を費やす。あるいはスポーツの道に進む人は、ひたすらにそれをやる。街に出れば野球の試合をやっているし、音楽家のコンサートが開かれている。本を書くのもいい。どれもだめな人でも、あらゆる娯楽のアーカイブで遊び続けることが出来る。人々はありとあらゆるものを創り出し、それを消費していく。そのうちのいくつかは、百年以上にわたって伝えられるような傑作になる。

生活の不安がないのだから、そういうことができる。

 

こんな話はたぶん百年位前から言われているのだろうなぁ。

でも私なんかは、無人機で配達ができたりするくらいなら、そろそろそういう世界が実現してもおかしくないのではないのかなと思っている。

理想郷、という言葉を今持ち出すことはずいぶん時代遅れなのだろうが、それを追求し続けるのは悪いことではない。それは、現実の世界に常に疑問を持ち続けることなのだ。