ひとつだけ自慢できること
私は人に自慢できることがあまりないのだけれど、ひとつだけ、ちょっとしたことだけれど、ある。
それは、十五歳の誕生日からずっと日記をつけているということだ。
ほぼ、毎日。
いまの日記帳は、去年の二月一日から使い始めた。
これは一月末まで使って、いま、新しい日記帳を買おうと思っているところだ。
そういうわけで、ここ一年の日記を読み返してみた。
いくつか(個人的な)印象に残った文章を抜粋して紹介してみたいと思う。
人の日記を読むというのは、これはおそらくやったことのある人にしか解らないだろうけれど、それなりに面白いものである。
読書メモみたいなものも残しているので、なにかの参考になれば幸いです。
2月21日(金)
日本人は礼儀正しい、日本人は美しい、日本人は正しい、高潔で、誇り高い、聖女のような日本人の像。処女を信仰するような。それは本当に信仰に似ていると思う。
3月3日(月)
千枚ほどの写真は、どれも誰かに似ていた。声が聴こえてくるようだった。飛行機に乗る前の青年達の表情は底抜けに明るかった。覚悟とかそういうものよりも、リラックスしているという印象を私に与えた。死というものの重さよりも、軽さについて考えざるを得なかった。
3月6日(木)
祈念館でみじかく祈りを捧げ、私も平和の為に生きることを誓う。
「忘れたい」「思い出したくない」とアンケートに書いた被爆者たちの代わりに、私は死ぬまでこのことを脳のどこかのひだに刻み付けておこうと思う。
3月29日(土)
考えてみると、私は社会や世界のことをずっと考えている。時々見る、いつも変わらない夢を思い出すみたいに。
4月1日(火)
※ジョン・アーヴィング『サイダーハウス・ルール』を読んで
あいかわらずアーヴィングはすばらしい。こういう小説をいつか書きたい。むずかしいところがひとつもない。そこには人生がある。つまり運命との戦いがある。恋と死があって、家族がある。愛がある。涙がある。笑いがある。要はすべてがある。小説って、物語ってそういうものなのではないだろうか?
4月8日(火)
死は絶望よりも高いところにあるし、軽いものだ。簡単なことなのだ。
4月19日(土)
※新井素子『チグリスとユーフラテス』を読んで
形容しがたい作品だったように思う。Nがこの作品をすすめてくれたのは、おそらくSF的な、未来予想的な観点からだったのだろうし、そのようにおぞましく読むこともできるのだけれど、むしろ、私は現代の地球の、それも日本が舞台の、とてもローカルで土臭い、足取りのしっかりした小説のように思えた。
私たちはある意味では誰もがルナなのであろうと思う。比喩的な意味ではなく、実際に、人間は複数の意識を同時に持つことができないから、結局のところ自分の意識の中という世界の中では唯一の人格であるわけだし、最後の子供なのであろうと思う。その意識がクライシスを迎えたときに、どうして私を産んだの? という切実な問いが浮かび上がって来る。マリア・Dにしろ、ダイアナにしろ、要するに人が人生の中で、頭の中で繰り返し問うことになる大きなクエスチョンマークが人間の形になったと言うことができるのだろう。
悩むことなく、ただまっすぐに、何も考えることなく、忙しさのうちに人生を終えることができればと、おそらく誰もが、私だってそう思っている。
4月21日(月)
※チェーホフの短編を読んで
神西清(じんざい きよし)訳のチェーホフ短編集を読了。そういえば昨日の村上春樹の新作にもちらっとチェーホフが出て来ていたけど、どれもすばらしい短編だった。何がすごいってのはないんだけど、『可愛い女』なんてあの文量で『チグリスとユーフラテス』なみに奥行きのある物語じゃないか。
5月4日(日)
夕方に十三へ行きYと会う。コーヒー。コーヒーは間違いなく人生に必要なものだ。そして友。思うに、友に価値の違いはあるのだろうか? 人は親友というものをつくりたがる。でも私に親友は必要ないし、誰かの親友になりたいと思ったこともない。
5月7日(水)
ヴォーン・ウィリアムスの『イギリス民謡組曲』にはまっている。まだまだ知らない名曲が沢山ある。それに比べて人生は短い。不当に短い気さえする。
6月9日(月)
24時間365日不安に押しつぶされそうになっている。ただ確かなのは、読んで書くことを日常のものにしなくてはならないという思いである。なぜそう思うのかはわからない。強いmotivationがあるわけでもない。漠然とそう思うだけである。考えること。考え抜くこと。人生の三つの要素が私には見つからなかったとしても、あるいは手に入れることができなかったとしても、私にできるのは考えることだ。考え抜くことだ。それは誰にも奪えない。
6月14日(土)
天気がよかった。松江を出て安来へ向かった。足立美術館というところへ行き、そのあとスーパー銭湯に行った。美術館の庭は良かったが、人工的な匂いがあまりに強かった。上村松園の絵と現代画の展示がよかった。
しかし一番心に残っているのは、美術館から湯へ行く道の、果てのない緑の景色である。あんな景色はもうなかなか見られないはずだ。
7月7日(月)
自分で自分を損なっているという気がしなくもない。風呂に入っている時に思いついたのだが、私はおそらく、一個の人格として、18歳くらいのときに、かなり多くの重要なテーゼを、経験的に、しかも自覚的に手に入れていたはずだ。それはいずれも強固で逞しいもので、どんな時代であれ、誰にとってであれ、死ぬまで通用してしまうくらい深く致命的な哲学のはずだった。
私はそれに気づいたのだった。
だから、それを意図的に、極めて自覚的に壊していくような青春を過ごしたのだ。集団から個へ、倫理から欲望へ、そして日本から出た。しかし、回答はない。若き日の私の方がよっぽど頑強な自我を持っていた。それはすなわち、答えを持っているということだった。
今の私には、答えが無い。答えを持つということが、何か間違っていることのように思える。他人に関してはそうは思わないし、むしろ羨ましくもある。いや、しかし、このようなことは皆思っているのかもしれない。みんなそういうことを経験して成長していくのかもしれない。私はべつに特別ではないのかもしれない。しかし誰からもこのような話をきいたことはない。あるいはこのような話をする友を、私は持ち得なかったということなのかもしれない。
8月10日(日)
NとSに会う。相当壮絶な人生を送って来られたよう。あるいは、40を超えた人たちはすべからくそのような壮絶さをくぐり抜けてきているものなのだろうか?
8月16日(土)
勝利の夜があれば、敗北の夜がある。そして復活の夜もある。結局のところ、自分を十全に理解することなど絶対に不可能なのだから、自分を少しでも理解するために、試しつづけるしかない。あらゆる方法で、あらゆる場所で。
ドナルド・キーンとともに三輪を訪ねた三島由紀夫は、ただ一言「清明」という印象を残した。そのことが、その言葉が私を勇気づけてくれる。そんな歩き回った一日。
9月2日(火)
高知の大樽の滝へ行く。Nが服を脱ぎ滝にアプローチするが、滝の下へなかなか行かない。どうしたものか訊いてみると、「深すぎる」と言う。それなら、と私が適当な木の板を千切って水に入れるが、恐ろしく冷たい。緑色の滝壺は確かに深いが、それ以上に、冷たさと、水しぶき、それに風圧、水の砕け散る音、すべてが私を威圧し、遠ざけているようで、一切近づくことができなかった。滝というのはすごいものである。神域という気がしなくもない。
Nは打たれることが目的だったから、少ししょんぼりしていたが、諦めて体を拭いて下山。しかし途中に小滝とでもいうようなものがあり、Nはまた服を脱いで今度こそと息巻いて打たれにゆく。彼はいやに感動していたので、私も行ってみる。
滝に近づくと、いくつもの虹の円が見えて、音は凄まじく、いざ滝に打たれてみると、すべての感覚が停止し、ゆさぶられる。あれは凄い感覚。何か生の喜びが満ちあふれて来るような感覚だった。小滝といっても、30秒と立ってはいられなかった。水は重いのである。
9月26日(金)
どんな仕事でも、誰でも、誰かを救うことができる。
10月13日(月)
昔の仲間と伊豆へ行く。温泉は良い。たいていの面倒ごとは温泉と美味しい料理があれば解決できるのではないかという気がする。皆相変わらずだった。実はその相変わらず、というのが一番大切なのではないかと思う。
何にせよ、Jは結婚し、Yは失恋し、Mは病を得、Sは確実な出世をしつつある。万物は流転する。嵐の中で、万物は流転してゆくのだ。
11月8日(土)
昼にKと会う。数ヶ月ぶり。それでもずいぶん変わった、というか、何となく少し大人っぽくなったような印象を受ける。女というのは19歳とか20歳だったら、たぶん毎朝少しずつ変わっていくのではないだろうか。
11月19日(水)
自分のしたいことが何かなんてことは、案外自分には見えないもので、自分のしたいことをしている人というのは大抵、気がついたらそれをしていた、という人が多いような気がする。これは一体どういうロジックなのだろうか?
答えは結構簡単で、要するに無意識ということになってしまうのだろうが、まあそれでは話が面白くない。だから、書きたい、書こうと思っているうちは駄目かもしんないね。書いちゃってるっていう状況。それこそが望ましい状況なんではないかなと。
以上、2014年の日記からお送り致しました。
あなたは日記を書いていますか?
もし書いていないのなら、書きましょう。
それはあなたを確実に励ましてくれるから。