数学と私 その3

 

3.別解と私

 

 試験一週間前になると部活が休みになったので、そういう時、私はHRの教室に残って勉強をしていた。私のほかにもそういう生徒が何人かいたと思う。家では勉強できない人たちだ。ある日、一つの問題が私の手を止めた。

 

 自分にとって大切な記憶は、完璧とまではいかないけれど、細かいところまで覚えているものだ。その時私が解いていたのは、三角形の問題だった。求角の少し手の込んだ問題で、おそらく円周角が絡んでいた。

 

 私はその問題を、だらだらと解いていた。今でも筋道を立てて物事を考えるのは苦手だが、当時はもっと苦手だった。数学の問題なんかは、「何かしら数字をいじってみる」という最悪な方式で解いていた。

 

 その問題に対して私は、「多角形の外角の和は360度になる」というややマイナーな知識をなぜか突然思い出して、それを使って解いた。すると、合っていた。しかし、解答を見ると、どうも違うやり方で解いている。

 

 この時、私の心は二つの感情に支配された。

 

 一つは、「たまたま解けたけど、このやり方でよいのか?」という不安。数が偶然合ってしまうというようなことは多々あるわけで、このまま続けてよいのかという、どちらかといえば理性的な、真面目な、反動的な思いだ。

 

 もう一つは、「もしかすると、解答に載っていない解き方を見つけた俺って凄いのでは?」という、単純に褒めてもらいたい感情だった。

 

 数学(あるいは算数)で褒められたことなどない私にとって、一問とはいえ別解的なものを見つけたというのは、ほぼ勲章を得たに等しい。

 

 

 不安と承認欲求が混じり合った微妙な興奮は、少年の足を放課後の教員室へと向かわせる。「いつでも質問に来い」などと先生は言うが、一度も行ったことはなかった。理由もなく「叱られるんじゃないか」という怖れを抱いて教員室のドアをノックし、開けると、いつも習っている数学の先生がいない。

 

「〇〇先生やったら帰ったで」

 と教えてくれた先生も数学の先生だったので、流れ的にその先生に訊いてみることにした。こういう解き方でやったんですけど、大丈夫ですかね、みたいな感じで。

 

「ええな、オモロイな」

 

 とその先生は言った。それだけ。

 

 それだけだったのだが、その日は画期的な一日だった。何らかのくびきのようなものから解き放たれたようだった。自分の解答が認められたのだ。それまで自分を否定し続け、苦しめ続けてきた数学から、初めて肯定してもらったような気がしたのだ。

 

 その日から数学への取り組み方は根本的に変わったと思う。しかし現実は厳しいもので、すぐ点数が上がるような甘い話はない。数学が「得意だ」と言えるようになるには、高校1年の秋まで待たなくてはならなかった。