2018年に読んだ本
いよいよ年の瀬ですね。
を読み返したところ、2017年は30冊の本を読んでいたようですが、今年も30冊でした。
目標は「月3冊は読む!」だったのですが、残念ながら達成できなかったようです。来年こそは……という願いも込めて、今年読んだ本たちを振り返ってみたいと思います。
みなさんも今年読んだ本を思い出しつつ、ぜひお付き合いください。
①レディ・ジョーカー(上下) 髙村薫
初めての髙村薫。数年前に放映されたWOWOWのドラマが好きで繰り返し見ていた。
実に長い小説で、バルザックを読んでいるような気分。全編を通じて極めて詳細に描かれている描写、執拗とさえ言える表現に圧倒された。
物語の基盤に、どこか聖書を題材としているかのような、キリスト教的な価値観に「見守られている」印象を受けた。芥川に通じるところもありそう。
②女王(上下) 連城三紀彦
「はじめて読む連城三紀彦」がコレなのはどうなんだ、という向きもあるかもしれないが、私としては満足の一冊。
ミステリ作家というのは、人間の記憶の弱さ、すなわち記憶を偽ってしまう習性に関しては、ある意味で専門家なのだから、記憶に関する考察は一級のそれかもしれない。
悪いことを言わないのでミステリファンだったらこの中の「花衣の客」だけでも読んでほしい。謎の描き方、作品世界、文体、すべてが渾然一体となって響き合い、上質な隠喩が作り上げる舞台の上で仕掛けが爆発している。精緻なアンサンブルだ。
④江副浩正 馬場マコト 土屋洋
もちろん名前くらいは知っている人だったのだが、具体的にどういう事業を手掛けていたのかまでは余り知らなかった。久々に読み応えのある本だった。コレ、本当に一人の人間の、一回の人生なのか、と思うくらい濃密。オペラを愛好していたというのが意外だけど面白い点で、リクルート事件の際に自分を追い詰めた検事と、自分が開いたコンサートの場で邂逅し、二人で笑顔で写真を撮ったというのが凄い。本当にすごい。
⑤「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法
たまには仕事に関係する本も読む。普段思っていることが言語化されているのでありがたい。
⑥戻り川心中 連城三紀彦
これはやはり表題作「戻り川心中」がすばらしい。「どんでん返し」というものは、主に犯人が誰か、ということに関して起こるものだけれども、この短編のどんでん返しは、価値観、とくに芸術と生命の価値観のどんでん返しのような気がする。
たぶん読むのは三回目くらいなのだが、冒頭のセメントの比喩は本当によくできているなと思った。歳を経るにつれて意味がわかってくる。人間が、「そうであった可能性」を口にするとき、そこにいる「私」は、「そうでなかった私」なわけだから、公正に客観的に何かの見解を口にするのは難しいのだろう。スター・クロスト・ラヴァーズという曲も初めて聴いたが、ものすごく美しい曲でびっくりした。
⑧石の来歴(再読) 奥泉光
一回目読んだときには気づかなかったミステリ的な構造にも気が付きながら読んだ。というか、普通でない読み方をした。普通ではない解釈でこの作品を理解した。このアイデアはあまりに変なので、直接会う機会がある人は私に聞いてください。シンプルに素敵な小説で、真名瀬が石に没頭している描写に心打たれた。ああいう趣味もいいですよねぇ。
⑨ヴェルディ オペラ変革者の素顔と作品 加藤浩子
何の縁か分からないがヴェルディの作品を指揮する機会があったので勉強のために読んだ。
レオ・ヌッチ「ヴェルディのオペラは”声”で歌ってはいけない、場面にふさわしい”言葉”で語らなければならない」
⑩こう観ればサッカーは0-0でも面白い 福西崇史
ワールドカップ対策。サッカーの戦術と、その展開に関しては、日々の生活へのメタファーとして有効であると感じた。
⑪昴(全11巻) 曽田正人
髪を切りに行っている美容室の兄ちゃんに勧められて読んだ漫画。すてきなシーンがいくつもあった。バレエ漫画。ストーリーは破天荒で、むしろ破綻しているが、熱量みたいなものがすごい。画も、言葉も、演出もすごい。
「満員の観衆の前、”今日は神が降りてきませんでした”と言ってあなたは謝ると言うのですか?」(3巻)
読むのに時間がかかった。気合を入れないと読めない本だ。じっくり読むとけっこうおもしろい。
「カレーニンはほかならぬ人生に直面したのであった。いや、彼の妻が自分以外のだれかを愛するかもしれぬという事態に直面したのであった」
⑬アイデアのつくり方 ジェームズ・W・ヤング
驚くべきはその薄さで、そのこと自体が一つのメッセージであるような気がした。マクルーハンが言ったように、メディアというものはメッセージなのだ。(本はメディアではないが、とりあえず)
物理学関係の本。たまには嫌いな野菜を食べるみたいに、自分が一番苦手であろう類の本を読むこともある。おもしろい発見もいくつかある。たとえば太陽というのは100億年分燃焼を続けるための水素を有しているのだが、今はおよそ50億歳らしい。
⑮豊かな音楽表現のためのノート・グルーピング入門 J・M サーモンド
「小節線は音符の長さをうまく演奏するためのひとつの手段にすぎないということは心得ておかなければならない」
⑯ベスト・エッセイ2018 光村図書
アンソロジー。普段あまりエッセイの類は読まないが、本屋に行ったときたまたま手に取ってしまった。自分が特別好きな作家のものはなかったが楽しく読めた。たぶん2019出ても買うんだろうなぁ。
⑰後世への最大遺物 内村鑑三
前々から読みたいと思っていた一篇。想像通り面白かった。詳しくは以下の記事で言及しました。
⑱暗黒日記 清沢冽
一年半ほど前に「評論集」を読んで感銘を受けて、やはり代表作たるこの日記を読んだ。戦時中の清沢の日記である。改めて驚くのはその感性、政治や国民性といったものへの鋭さである。清沢は1945年の5月に亡くなった。つまり終戦を知らないが、誰よりも終戦を知っていたはずだ。もし清沢が長じていて、戦後の日本を少しでも見ることがあったら、どのような評論を残しただろうか。私が思うに、清沢が見抜いていた日本人の欠点というものは、彼の死から73年経った今でも少しも変っていない。社会の表面は変わったかもしれない。物質は変わったかもしれない。しかし本質は変わっていない。それを巧妙に隠しているだけのような気がする。
そもそも何でこんなに長い小説を読み始めたのか理由を覚えていないのだが、まあ、長い。それなりに辛抱して読んでいる割に、「つまらん、止めだ」とならない。ひとつには、ちょこちょこ区切られていて、寝る前に一節だけ、というのがやりやすいから、という理由があるだろう。何といってもリョーヴィンが大活躍する巻である。リョーヴィンが主人公なんじゃないかと思う。しかしカレーニンも捨てがたい人物で、たとえば、
カレーニンは答えた。「私の思うには、言語形態を研究する過程そのものが、すでに精神的発達にきわめて好影響を与えていることを認めざるをえませんからな。いや、そればかりか、古典作家の影響は高度に道徳的であるのに対して、自然科学の教育には、現代の病毒を形づくっている有害な、偽りの教義が結びついている事実も、否定することができませんよ」
などと言ったりするから、魅力的である。
いやしかしやはりリョーヴィンの、
「もしきみたちがそれをいいと思ったら、なんでもしたいようにしてくれたまえ。ぼくは幸福なんだから、きみたちがなにをしようと、そのために、ぼくの幸福が増えたり減ったりすることはないからね」
という心境に至ってみたいのである。
⑳町へ出よ、キスをしよう 鷺沢萠
この歳になるまで鷺沢萠のことを知らなかったのだが、何かの模試を解いていてたまたま国語の問題で出てきて、好きな文章だったので著作をあらかた買ってしまった。これはエッセイだが非常に良かった。
㉑ことばの政治学 永川玲二
twitterで読書猿氏という、ものすごい読書家の方が、「こんな文章が書きたかった」と言っていたので、気になって買った。
そう、文章がおもしろいのである。ほとんどがカギかっこなしの会話文なのだが、気持ちよく読んでいける。40年近くまえに書かれた本なのに、明らかに現在のことを論じてしまっているのがすごい。
㉒息子が殺人犯になった コロンバイン高校乱射事件 加害生徒の母の告白 スー・クレボルド
タイトル通り、コロンバイン高校乱射事件の加害者の母親による本である。この日本語訳の装丁は、上半分が白、下半分が黒になっている。この装丁が示すことは、おそらく善と悪であろう。そして現実には、善と悪がこんなにも美しく割り切れるはずがないということを示唆しているように思える。
㉓世界の中の日本語 永川玲二
「ことばの政治学」が面白かったので、続けて読んだ。こちらは言語の政治性ではなく、日本語そのものの性格について書かれている。軽妙で読みやすい。
「無内容な演説、論文のたぐいには、とかくむずかしい漢語が多い。素顔をひとに見せないための男性用厚化粧というべきか」
もはやいつ読み始めたのか思い出せないくらい長い時間をかけて読んだ。したがって散漫な印象しかないが、そもそも「唯識」に興味を持ったのはやはり三島由紀夫だった。三島の最後の作品「豊饒の海」という大作は、この唯識という思想に貫かれているという。プラトンの「イデア」の発想に近い部分もあるが、これは本当に深い哲学だと思う。
㉕意味とひびき 永川玲二
いまの日本語と幕末の頃の日本語には相当な差があったようだ。確かにそうかもしれない。
「多彩な神話、伝承があり、和漢の詩歌、仏教の説話、日本の伝説、中国の歴史や哲学、そういったものが、言語生活の養分であった」
私たちが古典を学ぶ意味はやはりあると思う。
㉖月と六ペンス サマセット・モーム
今年ベスト小説だった(いまさら?)。これについては改めて書きたい。非常に多くのことを示唆してくれる小説だった。今読めてよかった。
㉗ねにもつタイプ 岸本佐知子
今年はけっこうエッセイを読んだ年かもしれない。思わず笑ってしまう文章が随所に散りばめられている。文章が巧妙というのではなくて、筆者の頭のなかがたぶん普通の作家の成り立ちとは随分違っていて、それが文章の中にひっかかりとして現れて、おもしろいのだと思う。
㉘邪馬台国は「朱の王国」だった 蒲池明弘
古代史に興味があるが、そもそも、これまで古代日本が当時の中国や朝鮮と、何を対価としてビジネスを行なっていたのか、あまり考えてみることがなかった。その一つが「朱」であるという。ざっくりいうと、古代の邪馬台国に始まる日本の王朝は、この朱(水銀の原料でもある)を求めて都を定めていたのではないか、という本である。非常に鮮やかで、知的にスリリングな本だった。
㉙海の鳥・空の魚 鷺沢萠
こちらは短編集である。ひとつひとつの短編はとても短くて、3ページくらいで終わるものもある。正直、この短編集は玉石混交であるという印象が拭えない。だが、収録されている「ほおずきの花束」や、「柿の木坂の雨傘」、そして最後に配置された「卒業」などは、まさに筆者のいうところの、
「どんな人にも光を放つ一瞬がある。その一瞬のためだけに、そのあとの長い長い時間をただただ過ごしていくこともできるような」
という時間が見事に封じ込められた短編だったように思う。
たしかにその通りなのだ。私も誰かがいつかきらめいた瞬間の記憶をいくつか頭の中に大事に仕舞ってある。それを時々思い出せるから生きていけるのだと思う。
㉚考えるヒント 小林秀雄
小林秀雄がどういう人物なのか恥ずかしいことにあまり詳しくないのだが、この本を読んだ印象は、「あ、吉田兼好みたい」ということであった。さしずめ、現代の(といっても結構昔の本だが)徒然草といったとことであろう。
「どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。そんな光景が到る処に見える。物を考えるとは、物を摑んだら離さぬという事だ」
あたりは、小林秀雄の考えることにたいするスタンスがよく現れているように思った。あと、平家物語に対する評価の高さは、「パイドロス」におけるソクラテスの言葉、パロールがエクリチュールに優越するという話を思い出したりして、こんなところでソクラテス(プラトン)と小林秀雄が響き合うというのはなかなか面白いなと思ったりした。
それではよいお年を。