同志社高校管弦楽部(DJS)のみなさんへ

 

 

 本来であればこの土日は「くるみ割り人形」の合奏をやっているはずでした。3月22日に行われるはずだった演奏会が中止になったことで、悔しい思いをしている人はたくさんいると思いますが、私もその一人です。特に、これが高校生活を締めくくる演奏会になるはずだった、高校三年生のみなさんは、本当に残念な気持ちであるとお察しします。

 

 トロンボーンをやっている私は、幸いなことに、一年の間にたくさんのコンサートに出演しますが、その中でも一番楽しみにしていたコンサートがみなさんとの演奏会でした。ドヴォルジャークの八番を聴くことも非常に楽しみにしていました。その機会が、突然、予想もしない形で失われてしまったことに、仕方のないこととは言え、諦めがつかない部分もあります。だから、自分の中で何かしらの諦めをつかせるために、この文章を書いています。

 

 

 

 少し昔話に付き合ってもらえませんか。当然、私にも高校三年生の時がありました。私は同志社香里高校の吹奏楽部の部長と指揮者をしていました。DJSのみなさんと同じように、高3の三月に最後の演奏会がありました。高校時代、完全に部活人間だった私は、その演奏会が人生のすべてでした。まるで、そのあとの世界には興味がないというくらい、部活に、最後の定演に、自分のすべての力を注ぎ込んでいました。

 

 2008年の三月のことです。美しい春の朝でした。感動的な日になるであろうという予感とともに目を覚ましました。しかしすぐに、その予感は消滅しました。というのも、冗談みたいな話なんですが、耳が聴こえなくなっていたんですね。

 

 正確に言うと、右耳がほぼ聴こえなくて、左耳がうっすら聴こえて、何か頭が痛い、という状況でした。「なんやコレ」と思いましたが、本番の日ですから、病院に行くわけにもいかず、すぐに支度をしてホールへ向かいました。

 

 実を言うと、そこから先、その日の記憶があまりはっきりしないのです。家族が撮影してくれていたビデオを見ると、私はちゃんと楽器を吹いているし、指揮もしているし、第二部では「ルパン」の銭形警部の役で劇を演じて(二部は劇をやるという伝統があった)います。写真もしっかり残っている。しかし、肝心の記憶がはっきりしない。 いま覚えていることといえば、「耳が聴こえなかった」ということと、(ホルン奏者には申し訳ないが)「『春の猟犬』でホルンが一小節飛び出した箇所があった」ということだけです。

 

 人間の記憶というのは案外そんなものなのかもしれません。人生最高になるはずだった日の記憶が、「耳が聴こえない」に埋め尽くされているというのは皮肉なものです。音楽家にとって耳は何よりも大切なものですから。ちなみに翌日すぐ耳鼻科に行って、しばらく通院しました。原因は、「かび」でした。耳の中にかびが生えていたそうです。冗談みたいで、いまでも何かの間違いなんじゃないかと思いますが、あの、耳に細い鉄の棒のようなものを突っ込まれて、ぐりぐりとやられた痛みはしっかり覚えています。いまでも、風呂上りに綿棒で耳の中を掃除しないと気が済まないのは、あのときの苦い経験に基づいていますし、おそらく死ぬまでその習慣を欠かすことはないと思います。
 


 当時は別に、悔しいとか、残念だ、という意識はまったくありませんでした。ただ、春を通じて、「?」が心の中にこびりついていました。不条理、というんでしょうか。「なんでまたその日に?」という気持ちがありました。べつに、耳が聴こえなくなるのに、わざわざその日を選ぶ必要はなかったのに。

 

 私は、楽器を続けよう、と思いました。そして指揮も続けようと思いました。それは、あの日耳が聴こえなくなってしまった自分に対するリベンジだったのかもしれません。今、30歳になってなお、音楽に情熱を燃やし続けることができるのは、高校最後の演奏会が不完全燃焼に終わってしまったからだという気がするのです。あの日すべてが聴こえていたら、あそこですべてが叶えられていたら……もしかすると私は、すべてをやり切った気分になって、そこで音楽をやめてしまっていたかもしれません。

 

 

 

 そこから先、私はすばらしい経験をたくさんしました。いろんな人と、いろんな曲を演奏する機会に恵まれました。しばらく、音楽から遠ざかる時期もありました。音楽なんて言っている場合ではない、自分自身の危機を迎えたこともあります。そんな時、音は再び聴こえなくなりました。でもやはり、自分の回復を助けたのは音でした。最終的に、私は音楽に還っていきました。自分が遠ざけたとしても、消えることなく音楽はいつもそばにいてくれるからです。

 

 そしてそうやって音楽を続けていく中で、いちばんすばらしい出会いが、DJSとの出会いでした。

 

 

 みなさんと私の経験は根本的に違います。私の演奏会は中止にはならかったのですから。もし神様がいて、最後の演奏会、耳が聴こえなくなるのと、中止になるの、どちらかを選べと言われたら、あの治療の痛みを再び経験するとしても、耳が聴こえなくなるほうを選ぶと思います。それくらい、演奏会が中止になるということは、辛いことであると思います。残念ながら、今の私には、みなさんを癒すような言葉をかけることはできません。ただ、私自身も一緒に悔いることしかできません。

 

 

 ただ、ひとつ確実に言えることは、「続けていると、いいことがあるよ」ということです。私がみなさんと出会えたように、すばらしい出会いが待っています。

 

 

 ただそれは、「大学に入っても楽器を続けろ」とか、「社会人になっても楽器を続けろ」という意味ではありません。しばらくお休みする期間があってもいいのです。私の知人の中には、長い間楽器から遠ざかり、ふとしたきっかけで再びケースを開けたという人もいます。また、違う楽器に、違うジャンルに挑戦してみるというのもいいと思います。どれだけ長いあいだ遠かったとしても、異なった世界に身を置いたとしても、ソナタ形式の再現部みたいに、主題は必ず還ってくるのです。

 

 そうすれば、何年後になるかはわかりませんが、いつかまた一緒に演奏する機会が訪れるでしょう。その日を楽しみにしながら、私はきょうも楽器を吹こうと思います。

 

 DJSのみなさん、そして同様に最後の演奏会が中止になってしまった、同志社香里吹奏楽団、同志社交響楽団の後輩のみなさんに、この文章を贈りたいと思います。