読書感想は時空を超えて 宮部みゆき著 模倣犯

 

 

 

 

 読書感想文というものがある。夏休みの宿題として悪名高いアレだ。読書家の間でも話題に上ることは少ないが、私はけっこう、意義のあるものではないかと思っている。

 

 というのも、アレはアレで、読み返すとなかなか味があって面白いのである。


 中三の時、夏目漱石の「こころ」について書いた。ありふれたチョイスだったが、感想文という場を借りて、私は「こころ」の続編を書いた。もはや感想文ですらないが、大変意欲的なものに仕上がったと思う。そして中二の時に、宮部みゆきの「模倣犯」について書いたのだった。

 

 どんなきっかけでそのことを思い出したのか定かではないが、何となく懐かしくなって、「模倣犯」を文庫で買い直して再読してみた。実に12年ぶりの再読となったわけだが、おそらく、私の人生で最も長い期間を空けて再読する本ということになるだろう。

 

 さて読んでみると、不思議なことに、「懐かしいな」とはまったく思わなかった。大筋はもちろん覚えていて、結末も、登場人物もなんとなく覚えていたが、どこで誰がどんな風に死ぬとか、そういうことはサッパリ忘れていた。そういうものである。これがただの再読であれば、「はあ、こんな話だったか。相変わらず(作品は変化しないので当然だが)面白いなあ」で終わりなのだが、今回はそうではない。何といっても12年前の自分が、二学期始業式という締め切りに追われながら書いた「読書感想文」なるものが待っているのだ。氏名・クラス・出席番号が書かれた原稿用紙の束が!

 

 無事「模倣犯」を読了した後、感想文を読み始めた。異様に緊張するものである。何となく、十四歳の自分の感性が試されているような気がした。がっかりしたらどうしよう……そんな風にドキドキしながら、感想文を読んだ。

 

 どうもそれは杞憂だったようで、意外とマトモなことを書いていて安心した。正直な気持ちで書き綴ったのかどうか判らないが、当時の私は、この小説を、案外身近なものであるという風に解釈して読み進めていたらしい。つまり、ピースのような(あるいは和明のような)人物は決して特別ではなく、どこにでもいるのではないかと。私たちの誰もがピースになる可能性を持っている。だから宮部はこの小説を書いた。現代日本に警鐘を鳴らす作品なのだ……そんな偉そうなことを書いている。

 

 何といっても感想文の書き出しが良い。

 

「ピースと栗橋の劇が始まる。初演の舞台は大川公園。幕開けと共に、女性の鋭い悲鳴が空気を切り裂く。観客は、日本国民……」

 

 なんて書いちゃったのである。

 

 しかし今は、もう少し違った角度からこの作品を楽しんだ。

 

 今回、読後に一番に感じたことは、宮部が登場人物たちの関係の相似をかなり丁寧に描いた作品であるということだった。

 

 この作品では、現在と過去の殺人の、「被害者−加害者」という関係が大量に描かれている。かなりショッキングで、今で言えば「サイコパス」的な犯罪の方法が注目された作品であると思うが、この「被害者−加害者」の関係が、見事な相似の関係にあるということを描いたのがこの作品の真価なのである。この相似の描き方が素晴らしく丁寧で、心がこもっているので、物語は相当にフィクショナルで偶然性の高い筋書きであるにも関わらず、現実としての重みを獲得したのだと思う。関係の相似は、それほど強烈に誇張されているのだ。

 

 と、今の私ならそのように書くのだと思う。そんな風な読み方の変化を楽しめるというだけでも、夏休みの宿題はまだまだ捨てたものではない。国語の先生には頑張っていただきたいものだ。