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繰り返すこと

 今年の年末年始は忙しく過ごした。と、過去形で書いたのはつまり、明日からはもう仕事が始まってしまうので、いわゆる年始の休みが今日で終わってしまうのが理由だ。ただ、何というか、働くようになってからというもの、あまり年末年始が休みであることを意識したことがない。むしろ子供の頃の方が、年末年始の空気というものを敏感に感じ取っていたような気がする。

 

 とはいっても年末年始はさすがに特別な空気がないわけではなくて、十二月の頭から今までにかけて、ひとつ感じたことがある。

 それは、どうも私が「繰り返す」ことが好きな人間のようである、ということだ。

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、このあいだの十二月の頭くらいから末にかけて、フジテレビが「白い巨塔」の一挙再放送を行った。

 

 

 もうひと昔前のドラマだが、私はこのドラマを偏愛している。放送当時は中学生だったが、その時、リアルタイムで見ていた。そして今回の再放送もたまたま気づいて、すべて逃さず録画し、夜は毎晩一話ずつ見て過ごした。

 

 しかし私はこのドラマをもう何回も見ているのである。前に再放送をした時だって見ているし、ネットで見たこともある。

 再放送があったから、何となく原作の方も再読してしまった。そういうわけで、十二月は完全に「白い巨塔」に毒された月となってしまった。

 

「気に入ったものを何度も楽しむ」というのは、どうやら映像作品の方にそういう傾向があるらしい。

 休みなどで時間がある時、映画を見ようかと思ってレンタルビデオ店に行くが、いつも、過去に見たことのある映画を選んでしまう。

 小説を読もう、と思うときは、次々に新しいものを読む。一度読んだことのあるものを再読することもあるが、あまり頻繁ではない。これは一体どういう傾向なのだろうか?

 

 人生の時間は限られている。その貴重な時間を、新しいものに充てないということは、何か損をしているような気分がしないでもない。

 しかし、私は思うのだが、自分の特殊性というか、自分が他と違う人間であることの証が「偏愛」というものに尽きるのではないかと思う。薄く、広く、新しいものを求めてゆくよりも、気に入ったものを何度も繰り返して楽しむことで、自分の人間としての特殊な感情が、鋭く研ぎすまされてゆくような気がするのである。

 そして他人と付き合ってゆく中でも、そういった偏愛の傾向を持った人間との付き合いから得るものの方が、何となく多いような気がしている。

 繰り返すこと、いわばリピート・マークがついている時間。そうした時間から得たものの積み重ねが、今の自分を作っているとは言えないだろうか。

 

 そんなわけだから、この正月は、結局NHKで再放送をしていた「映像の世紀」をだらだらと見ながら過ごしているのである。これだって何べんも見ているというのに。