2019年上半期に読んだ本BEST5

 

 2019年も早いもので半分が終了してしまった。というわけで、この上半期に読んだ本で印象深かったものを、個人的な順位をつけて5冊挙げてみたい。2019年、と書いてはあるが、新刊はほとんどないと思う。

 


第5位 中村高康 暴走する能力主義

 

 
 教育関係の本。思考力重視、とかいう昨今の大学入試改革に疑問を突きつける本である。ざっくりまとめてしまうと、要するに、「新しい能力」なんてものはないのではないか、という主張。


 メリトクラシー能力主義というもの自体にもともとフィードバック機構が備わっているので、常にその主義自体が自らを問い直してしまう(再帰性)、つまり、「新しい能力」という概念自体がただの論理的帰結であり、現象に過ぎないということだろう。
 このへんは私も深くうなずくところである。私が就職活動をしていた頃は、「コミュニケーション能力」云々ということが盛んに言われていたが、今でもその概念の意味をうまく把握できていない。

 

 筆者が言うように、

 

 我々が「コミュニケーション能力」とみなしがちな現象は、場面、話題、相手によって容易に変化してしまうものなのだ

 

 ということなのだと思う。

 

 ”三菱ではどう云ふ人を採用するかと云へば云ふまでもなく人物本位である”(1930年)

 

 

 という引用から明らかであるように、「学力だけではダメで人間力も必要」式の考え方自体すでにおよそ100年前にはかなり一般化していたということだろう。


 このフィードバックの働きは、教育だけでなく社会のあらゆるところで目にする。


 昔、大学生の時に西山太吉さんを呼んで講演会を開いたことがあったが、その時彼は、「アメリカには振り子のように強力なフィードバックの力があるから、ある方向に社会が進んだら、必ず元に戻そうという働きが生まれる」と言っていた。日本はアメリカほど強力なフィードバックはないと思うが、存在しないわけではないと思う。


 ということはつまり、私たちはおそらく、2、30年後にまた逆方向の議論を目にするということだろうか。

 

 ゆとり世代からは以上です。

 

 


第4位 早瀬耕 プラネタリウムの外側

 

 

 年始にアウグスティヌスの本を読んで、それから少しポール・リクールの本を読んだ。この二人の哲学者が共有していた問題は「時間」である。(たぶん)


 時間を素材にした芸術である音楽をやっている身としては(アマチュアだが)、時間というのは生涯考え続けるテーマであると思う。


 本書「プラネタリウムの外側」は、言ってしまえばSFなのだけれど、そんな時間に関する哲学を私は感じ取りながら読めた。


 この作品は「グリフォンズ・ガーデン」という小説の後日譚なのだけれど、私はこちらを先に読んだ。それでも問題はないということだけ付け加えておきたい。「グリフォンズ・ガーデン」がデカルト的な懐疑主義をベースに書かれているのに対して、こちらは少し哲学史を進めたという感じだろうか。

 

 本当に、過去が現在を規定しているのだろうか。現在が過去を創作していると疑う余地はないのか(p.88)

 

 「過去って、どこにあるんだろう?」
 「何? 突然……」
 「昨夕のぼくと、いまのぼくが、同じ人間であることを、誰が証明できる?」(p.104)

 

 コンピュータ・ウイルスではないけれど、似たようなものだよ。人間が、自分の記憶を外部化した部分を、ひとつひとつ別のものに置き換えていく。そうすると、脳にある記憶と、自分の持っているデバイスの記録が喰い違い始める。スマートフォンやパソコンに頼り切っている人間が、どっちを信じるかは明白だ。(p.213)

 

 →確かに、多少のハッキングのスキルがあれば、他人のデバイスの画像や動画を少し改ざんしたりすれば、記憶をコントロールすることが可能だろう。それは現代においてめちゃくちゃやりやすくなっている気がする。

 

 

 


第3位 暗号解読 サイモン・シン著 青木薫

 

 

フェルマーの最終定理」の著者が書いた、暗号の通史である。量子暗号の章は難解だったが、そこまでは何とかついていけた。


 非常に面白かった。暗号の歴史が教えてくれることはたくさんあるが、私が思うに、暗号で苦労して隠さなければいけないような重要なメッセージを、解読したあとに、その情報をどう扱うか、どう振る舞うか、というところに、人間の面白さがあるのだろう。

 

 太平洋艦隊司令官のチェスター・ニミッツ提督は、ミッドウェーにおけるアメリカの勝利についてこう述べた。「それは本質的に情報の勝利であった。不意打ちをしかけた日本は、逆に不意打ちを食らわされたのである」

 

 

 →太平洋戦争と暗号というあたりは、この本の中でもスリリングな章の一つだった。日本の暗号は、アメリカの日本研究者によって筒抜けだったらしいが、アメリカ軍が使った暗号は、シンプルなもので、ネイティブアメリカンの言語だったらしい。ほとんど誰もわからなかったから暗号として機能したようだ。要するに暗号は言語であるということだから、言語は暗号たりうるということなのだろう。

 

シャンポリオンはここで幅広い言語学の知識をフルに活用した。古代エジプト語の直系の子孫というべきコプト語は、十一世紀にはすでに使用されなくなっていたが、コプト教会の祈祷書の中には化石のように存在していた。シャンポリオンは十代でコプト語を学び、日誌はコプト語でつけるほどこの言葉に熟達していた。

 

 

 

 →ここが本書で一番感心した場面である。あのシャンポリオンの話だが、「なんで日誌をコプト語でつけるねん!」と思わず突っ込んでしまった。全体を通して言えることだが、どこで何が役に立つかなど、ちっぽけな人間にはわからないものなのだ。

 

 


第2位 若い読者のためのアメリカ史 ジェームズ・ウェスト・デイヴィッドソン著

 

 

 勝手に決めているだけだが、今年の読書テーマは「アメリカ」である。この本は梅田の紀伊国屋でつい買ってしまった。分厚い本で、しかも結構値が張る。そりゃまあ、アメリカの通史だから仕方がない。アメリカといっても、アメリカ合衆国の通史ではない。

 


 鄭和が近代にアメリカにたどり着いた最初のアジア人だ……明の王朝がこうした海外への渡航をずっと支援していれば、今こうして読者が読んでいる歴史はあるいは中国語で書かれているかもしれない。だが、当時明は北のモンゴル民族の攻撃を受けていたことで、王朝はそれ以外のことに目を向けられなくなった。(p.36)

 

 →この説は異論もあるそうだが、こんな感じで、合衆国以前のアメリカからアメリカの歴史を説き起こす。意外な事実もたくさんあって面白い。

 

 現代のイタリア料理はトマトがなければ成り立たないが、これはアメリカ産の野菜だ。(p.49)

 

 1600年までに14の病原体が中央アメリカに、少なくとも17の病原体が南米に広がった。疫病とコンキスタドールによる暴行で、500万〜9000万人の命が奪われたとみられる。(p.51)

 

 

 

 →この手の本を読むといつも思うのだが、たとえばコルテスがアステカを征服したとき、通訳はどうやって言葉を学んだのだろうか、と思ってしまう。そんなことを書いた本がどこかにあるなら読みたい。

 

 本国議会はひとつだけ税を残し、権威を示そうとした。茶税だ。アメリカ人入植者たちはそれを払いたくなかったが、イギリスの茶は好きであった。(p.126)

 

 

 →私はアメリカの文化を概観するエッセイをいつか書きたいと思っているのだが、それは「アメリカン・コーヒー性」という概念がキーになりそうである。茶税のくだりはそのヒントになる。

 

 ルーズベルトの手法は実験的だった。「ある方法を選び、試してみる。失敗したら率直に認め、別の方法を試す。ともかく、何か試してみることだ」1933年3月4日に就任宣誓をしたとき、ルーズベルトは同胞である国民に向かって、自分はそのように何か試してみること、そして成功することを保証した。「恐れなければならないものはただひとつ」と彼は言った。「恐れそのものだ」(p.348)

 

 

 →非常にアメリカ的、というかアメリカそのものである気がする。昔からアメリカは「恐れ」を作り出すことに長けていると思う。

 


第一位 未必のマクベス 早瀬耕著

 

 

 これが上半期ベストである。小説である。が、「どんな小説?」と訊かれてもちゃんと答えられそうにない。ほのめかしがちょっと多いのでとっつきにくいところもあるかもしれないけど、とにかく面白いから読んでみてほしい。ハードボイルドで、SFで、ミステリで、かつ企業小説でもあり、また恋愛小説であり、さらには文学であると思うのだけれども、要するに、そういう、鍋料理みたいな、「とりあえず全部ぶち込んでみました」みたいな小説が私は好きなんだと思う。作風はちょっと違うけれど、ジョン・アーヴィングの小説が好きなのも同じ理由だ。話も結局どうなっちまったのかイマイチ判然としないところもあるけれど、それは再読時のお楽しみにしたい。

 

 

 あと、シェイクスピアの「マクベス」を未読の方は、ぜひ読んでからにしましょう。私は未読だったので先にシェイクスピアを読んでから取り掛かったのだが、より楽しめたと思っている。

 

 


番外編 テレビドラマ編 Breaking Bad

 

www.breakingbad.jp

 

 Netflixで全エピソード一気に見てしまった。これもある意味ではアーヴィング的な、なんでもぶち込んだドラマだと思う。詳細はリンク先にゆずるとして、とにかく面白い。

 

 

 

番外編 音楽編 ずっと真夜中でいいのに。

 

www.youtube.com


 最近はこればっか聴いてます。新曲の「勘冴えて悔しいわ」もかなりお気に入りです。なんかグッとくるんですよね。